アレクサンダー・テクニークでは、「頭と首と背中の関係」がとても重要です。
アレクサンダーは、彼の3冊目の本(63歳で出版)で、特に頭の動きが重要だということを「プライマリ・コントロール」という言葉を使って示しました。
しかし、2冊目の本までは、それについて特に強調していないことは興味深い所です。
(1冊目の本「人が受け継いでいる最高のもの」には、「頭が前に上に」がでてくるので、最初から重要だったのは間違いがないのですが。)

「頭の動き」はプライマリ(主要)ですが、全てを解決してくれるわけではありません。
先に挙げた彼の3冊目の本「自分の使い方」の第1章「テクニークの進化」は、彼がテクニークを作って行った過程を記していますが、その中でプライマリ・コントロールに関連する「頭の動き」に関連した部分は、1割ほどでしかありません。
彼はその章で「ある部分の特定の間違った使い方をやめて、良いと思う使い方に変えるだけの問題ではない」と書いた後に、彼の「足の使い方がそのプライマリ・コントロール」を妨げていた決定的な要因だったことを記しています。
そこから、「人は全体としてしか変われない」、という意味での「全体性」という言葉もでてきました。
一人一人が、プライマリ・コントロールを妨げるものを持っているので、それを解決していく必要があります。

アレクサンダーの個人レッスンは、それを行っていたことでしょう。
彼が具体的にその個人レッスンで何を教えていたかは、残念ながら4冊の著書からは分かりません。
それは、幾つか残っている「個人レッスンの日記」を読むことで得ることができます。

「 Inside yourself 」からの引用

一つ例をあげましょう。

アレクサンダーが亡くなる(1955年)前年に出版された「Inside yourself」(ルイス・モーガン著)という本があります。
この本はアレクサンダー・テクニークについた書いた本ですが、その2章「奇跡の記録」に、ミスG.R.と記した女性のレッスンの日記を載せています。
ミスG.R.は、病気の後で身体が弱り何年も立ちあがるができなくなって、最後にアレクサンダーにたどり着きました。
彼女の3回目のレッスン日記から一部を引用します。

「アレクサンダーはわたしの膝を穏やかに叩いて、膝に力を入れ過ぎようとしていること、また固めたままにしていること、に気付かせようとしていた。彼は肋骨もコツコツと叩いて、動き続けることができることを思い出させた。」

このアレクサンダーの最晩年のレッスンでも、早いうちに「膝」と「肋骨」への指示を与えていることが分ります。

このミス G.R.の日記には、日記形式ではない1回目のレッスンの記録を含めると、12回のレッスンについて書いています。彼女は急用でロンドンからニューヨークに帰らなくなるまでの間に25回ほどのレッスンを受けました。

ちなみに「Inside Yourself」は、3刷りまで行われたくいらい売れたそうですし、序文は有名なオルダス・ハクスリーが書いています。



アレクサンダーレッスンの主要な日記

アレクサンダーから受けた個人レッスンのレッスン日記、トレーニング・コースでの日記、その他の記録、として次が主なものです)
(URLは以前にその内容をブログで紹介したときのものです)

1)1919年 「賢者の石(ジェームズ・ハービー・ロビンソン)」

2)1927年 「アンソニ・ルドビッチの記録」

3)1928年 「ジョージ・トレヴィリアンの個人レッスンの記録」

4)1936年-38年 「ジョージ・トレヴィリアンの日記」

5)1936年 「ウォルター・キャリントンの個人レッスンの日記」

6)1942年 「フランク・ハンド&グレース・ハンドの日記」

7)1946年 「ウォルター・キャリントンのトレーニング・コースの日記」

8)1947年 「エヴァ・ウェッブの日記」

9)1952年 「ミス G.R.の日記」


10)1952-1956年 ビンクリー「エクスパンディグ・セルフ」 

これらの日記の多くは一般の人たちが書いたものが多く、前回のメルマガで紹介したウォルター・キャリントンの日記よりもさらに読み易いものです。

これらのアレクサンダーからのレッスンなどの日記について、試訳を作っています。
わたしのリーディング・クラブに入ることで、有償ですが読むことができます。
関心がある方は、yasuhiro.alex@gmail.comまでお問合せ下さい。

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