BodyChanceのプロコースで教えるアレクサンダー・テクニーク教師ヤスヒロ(石田 康裕)のページです。テクニークの歴史や役立ち情報など多くを載せています。教育分野(学校の先生など)での応用にも力を入れています。ヤスヒロは、埼玉・東京でのレッスン、出張レッスンを行っています。機械工学修士で27年間、高校で教えました。

アレクサンダーに関連する情報

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アレクサンダー・テクニークと創始者のF.M.アレクサンダー自身に関するブログ記事を次に書いていますのでご覧ください。

1.第1世代の先生(アレクサンダーが直接教えた先生)について

 

「アレクサンダーが行ったアレクサンダー・テクニーク教師養成」

1931年に教師養成コースが始まるまでアレクサンダーがテクニークを教えるように訓練した人たちは、わずかでした。
それまで勧めを断っていたアレクサンダーが、ようやく教師養成を開始したときに彼は、62歳になっていました。
彼が、どのようにそれを行ったかが分かります。

「ARアレクサンダー・FMとの教え方の違い」

アレクサンダー・テクニークを作り上げたF.M.アレクサンダーは、弟のA.R.に教え、とても彼を信頼していました。教師養成コースを始めたときも、2人で教えています。
それでも、2人の教え方は異なっていました。

「アレクサンダーの教え方を守ろうとしたマージョリー・バーロー」

第1期教師養成の生徒だった、マージョリー・バーローは、F.M.アレクサンダーの姪です。
彼女は、叔父が教えていた内容を、できるだけ純粋に伝えようとしていて、わたしたちは、彼女から、アレクサンダーが実際にどう教えていたをもっともよく知ることができます。

レクチャー「マージョリー・バーローが伝えたアレクサンダーの教え方」

マージョリー・バーローについて行ったレクチャーの前半を載せました。
バーローについてもありますが、アレクサンダーを学ぶときの現在の状況について知ることができます。

2.F.M.アレクサンダーについての他のトピック

「アレクサンダーと父親のジョン」

父親ジョンは、腕の良い蹄鉄職人でした。
ジョンは、アレクサンダーの3冊目の著書「自分の使い方」の第1章にわずかに登場します。
アレクサンダーは、母親はメルボルンにも、その後はロンドンにも連れてきて面倒をみますが、父親はタスマニアにとどまり続け、複雑な関係でした。

・アレクサンダーと親友ロバート・ヤング、エディス夫妻

アレクサンダーのオーストラリア時代の親友ロバート・ヤングとその妻のエディスについてです。
ロバートは健康を害して、早くに亡くなりました。
彼はエディスの面倒を見てくれるようにアレクサンダーに頼んでいて、アレクサンダーは後に、エディスと結婚しました。

 

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