昨年のブログ「恩師スパイサー医師に対するアレクサンダーの反論」で書いたように、スバイサー博士(喉の専門医師)は、1904年にロンドンに渡ったアレクサンダーに対して、彼のテクニークを認めてとても大きな支援を行いました(詳しい経緯は、そのブログをお読み下さい)。
アレクサンダーは有名な俳優の障害を治すことを頼まれたり、患者の治療を頼まれたりしていました。
その上、喉の専門医師のスパイサーは、アレクサンダーに医学的な観点からも協力したし、医師の大会でアレクサンダーの紹介も行いました。
彼がいなかったら、アレクサンダー・テクニークの歴史は大きく変わっていたことでしょう。

しかし、1909年にまでには彼らに仲たがいが起こり、1909年6月にスパイサーは、「呼吸機構における幾つかの点」という論文で、テクニークの内容を自分の発見であるかのように発表しました。
そこでは、「訓練を受けていない素人や、無知の偽医者に任せておくには余りにも重要だ」と遠回しにアレクサンダーを批判しています。
アレクサンダーは、それに対して
新聞への書簡「呼吸とガン」(ここでは、アレクサンダー・テクニークがなぜガンに有効かにも触れています)で反論し、
「なぜわたしたちは誤った呼吸をするか」
という小冊子を作りました。
しかし、スパイサーはその後もアレクサンダーのテクニークの内容を自分のオリジナルなものだと発表し続けて、1910年1月に「病気の治療における新しい重要な原則についての臨床的レクチャー」という論文や、その他の発表を行いました。

その論文への反論がアレクサンダーが出した小冊子「R.H.スカーネス・スパイサー博士が行ったレクチャーのある前提への反論」(1910年4月 「アーティクルズ・アンド・レクチャーズ」の本で12ページという長さ)です。

このタイトルにある「前提」とは、スパイサーがその内容を自分のオリジナルだと「前提」していることに対してです。

興味深いのは、この小冊子では、その前の反論の小冊子と異なり、スパイサーがレクチャーで「新しい原則」と述べた内容については批判していません。
それどころか、次のように、スパイサーの理解について賞賛とも取れる文を書いています。

「既に述べたように彼はわたしの生徒でしたが、十分な柔軟性を持っていませんでした――彼は、わたしの方法の理論面について素晴らしい理解を示していたのですが、わたしはこの方法の教師に必要な高いレベルを彼に作ることができませんでした。」

アレクサンダーはこの小冊子で、
「わたしはただ、彼のレクチャーの主要な点を取り上げ、そしてわたしの以前の文章からの引用を示すことで、スパイサー博士が「新しい原則」として提唱しているものの本質的な内容の全てが、わたしが教えている内容と正確に一致していることを示しただけです。」
と書いています。

この点で、小冊子「R.H.スカーネス・スパイサー博士が行ったレクチャーのある前提への反論」は、優れた医師から見た、アレクサンダー・テクニークの主要なポイントとして、読むことができます。

 

このスパイサー博士の盗用については、それがアレクサンダーの1冊目の本「人が受けついでいる最高のもの」MSIの出版を急ぐ原因になったことは興味深いことです。

さらに、このMSIには間に合わなかったのですが、アレクサンダーは、盗用を防ぐためにテクニークの内容を具体的に書くことにしました。テクニークの特許申請はできなくて、それによって盗用から守ることができないと分ったからです。著作権によって盗用に対抗しようとしました。

自分がオリジナルだという証拠を作ることにしたチラシが、
「運動感覚システムの再教育 補遺」です。
ここでは、簡単ですが、アレクサンダーが教えていた内容が具体的に記されています。
「首がリラックスして....」などの、アレクサンダーが生徒に教えたディレクションも出てきます。

 

***8月10日(土)池袋レクチャー***
8月10日(土)の池袋レクチャー第4回「アレクサンダーの著作からテクニークが何かを考える」では、アレクサンダーの小冊子と彼のレクチャー、4冊の本の内容を追い、教えている用語や内容がどう変わっていくかなども見て行きます。
資料にはここで取り上げた
「呼吸とガン」
「R.H.スカーネス・スパイサー博士が行ったレクチャーのある前提への反論」
「運動感覚システムの再教育 補遺」
の訳もつきます。
「なぜわたしたちは誤った呼吸をするか」
は、池袋レクチャー第2回の資料です。

 

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