スバイサー医師は、アレクサンダーが1904年にロンドンに渡ってすぐに、彼のワークを認め支援してくれた人です。
彼は喉の専門家で、アレクサンダーがその頃売りにしていた「呼吸」は彼の専門分野でしたし、その分野で有力者でした

スパイサーはすぐに彼自身がアレクサンダーの生徒になり、後には彼の妻と子供3人もアレクサンダーの生徒にしています。
彼によって、アレクサンダーは初めて新聞に載ることにもなったし、医師の大会にアレクサンダーを連れても行きました。
アレクサンダーに多くの患者を紹介し、その中にリリー・ブレイトンという女優がいたことから、アレクサンダーは切望していた英国の役者たちとのつながりを持つこともできました。
(当時最高の俳優と考えられていた、ヘンリー・アービング卿を教える機会も得ましたが、晩年のアービングは声の問題を抱えていて、アレクサンダーを舞台の近くに待機させるほど頼りにしました。)

アレクサンダーがスパイサー医師に負うところはとても大きく、彼がロンドンで教え始めて2、3年の内に個人レッスンがほぼ埋まるほどになったのは、スパイサーのおかげといって間違いないでしょうし、
彼から専門分野の多くの医学的な知識を得ました。この頃アレクサンダーが出している小冊子は、そこから多くの影響を受けていたことでしょう。

 

そのように親しい関係だったのですが、何かがあって(その理由はわからないようです)彼らは決別しました。

分かっているのは1909年6月に、スパイサーは「呼吸機構における幾つかの点」という論文を英国医学協会の大会で発表し、その後にも幾つかの論文や講演を行っていることです。

スパイサーはそれらの中で、アレクサンダーが見つけた内容を、それを断らずに自分の発見のように述べたし、「訓練を受けていない素人や、無知の偽医者に任せておくには余りにも重要だ」と言い遠回しにアレクサンダーを批判しています。

アレクサンダーはこれに対して、スパイサーが盗用していることを示し、スパイサーの間違いを指摘するために新聞投稿を行い2つの小冊子を作りました。(1)1909年10月19日 日刊紙のペルメル・ガゼット紙に書簡として載った「呼吸とガン」
(スパイサーの論文で「腹式呼吸が喉頭ガンの原因」だと述べているため、「ガン」が題名になっています。)

(2)1909年11月 小冊子「なぜわたしたちは誤った呼吸をするか」
(3)1910年4月 小冊子「R.H.スカーネス・スパイサー博士が行ったレクチャー
のある前提への反論」

特に(2)の小冊子には興味深い点が2つあります。
1つは盗用であることを示すために、スパイサー医師の論文を抜粋し、アレクサンダーの小冊子の対応する場所を示していることです
これにより、アレクサンダーのテクニークを良く知っているはずのスパイサーが、それをどう理解していたかを知ることができます。

2つ目は、アレクサンダーがスパイサーの理解の誤りを指摘している点です。
呼吸の専門家で、テクニークの長期的な経験を持っていたはずのスパイサーが、それでも理解しそこなっていた重要な部分が何かを、アレクサンダーの言葉で知ることができます。

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来年の2月11日(月、祝日)のレクチャーでは、これらの内容についても扱います。
興味のある方はぜひご参加ください。
 「アレクサンダーの生涯とその教え方(2回目)」
資料として、上記の(2)に挙げた小冊子「なぜわたしたちは誤った呼吸をするか」のヤスヒロ訳を添付します。(訳A4で7ページ)
スパイサー医師の論文から「腹式呼吸」と「肋骨(背中)呼吸」を対比している興味深い写真も添えました