ペンの持ち方は、30代でかなり良くなったのですが、それによって字を書くときの全体の身体の使い方が変わったわけではありません。
ちょうど30代の最後の年に、半年間、教員の仕事を免除されて、鎌田駅の近くにある富士通(株)の中の富士通電算専門学院に半年間通うことができました。
当時住んでいた埼玉県川越市から、片道2時間ほどかけての通学です。
(夏休みに部活の引率が1日あったために、皆勤賞を逃してしまいましたが、まあ当時は元気だったと思います。)
社会人コースですが、普通にレポート提出も何度もあって、久しぶりに土日のどちらかはそれに追われました。
なんといっても、そこの先生たちも、20人弱の各県の法務局勤務の同級生たちも、わたしが高校の情報技術科の教員だと知っていたし、前年にそのコースを終えた同僚が成績トップの優秀賞をもらってもいました。
それほどの気負いがあったわけではありませんが、その手書きのレポートに少しはオリジナリティを持たせて楽しみたい、と思いました。
A4で数ページにわたる手書きの文字を、一応は丁寧に書いていたと思います――おそらく相当身体を固めながら。
そのときは、身体に障害がでたわけではありませんが、それほど書けたのはそれが最後になりました。
ある程度の分量の文字をそこそこキレイ(あくまで、いわゆる「当社比」です)に書けた最後の出来事として記憶に残っています。
ただ思い出すと、その後すぐに数行を手書きで書くだけでもかなり苦痛に感じるようになった、という記憶があるので、その半年の手書きのレポート書きがその後の長く続く書くとき障害の原因かも知れません。
なぜなら、前々回書いた「五十肩」で起こったように、無理をしているときには大きな障害は出なくて、無理をやめたしばらく後から徐々に身体にひどいことが起こる、ということを何度も体験しているからです。
(しかし、幸いなことに、コンピュータ入力の時代になったので、それはそれほど支障はありませんでした。)
このような体験があったので、アレクサンダー・テクニークを始めてから、いつかは書くときの自分の使い方を良くしたいとずっと思っていました。
しかし、書くときの癖と、自分を固める傾向がとても強かったので、いつかは良くなればよいとは思っていても、余り進歩を感じられまでした。
BodyChanceを卒業してから数年後に、ドン・ウィードのワークショップでのことを覚えています。
彼の前で「書く」というアクティビティを行ったのですが、人前ということもあり、本当に自分の腕から指にかけてのコントロールが効かないことを、感じました。
「変なディレクション」と表現できると思うのですが、自分でコントロールできないエネルギーの流れが起きるのです。
それから数年が経ちましたが、ようやく字を書くという動作の中で、「変なディレクション」を防止できて、頭で考えたことを身体のある程度「適正なディレクション」に変えることが、少しできてきたように思います。
そのためには、頭と首や肩の周りだけでなく、胴体(特に腹部)、脚といった場所のユースが上がり、そこに起きているエネルギーの流れ(ディレクション)についての感覚認識も上がる必要がありました。
ある意味で、アレクサンダーが「テクニークの進化」の中で、動きを行うことをあきらめて、何日も、何週間も、何カ月もディレクションだけに取り組んだ、と言うところと似ているのかも知れないと思いました。
目立った進歩はないですが、そこから得るものはいろいろあります。
次回は、実際にペンを動かすことについて書きたいと思います。
第9回の坂戸ワンデイ・ワークショップ「字を書くときの意識と動きを変える」では、字を書くときの全体の使い方について、参加者一人一人にワークします。その中で自分の課題を認識して、それにどう向かえばよいかの方向性を掴んでください。
参加希望の方は、http://yasuhiro-alex.jp/sakado_1day/ からお申し込みください。
各個人へのワークの時間を多く取りますので、定員は6名です。
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