長年F.M.の助手を務めて、「リトル・スクール」を成功に導いたアイリーン・タスカーは、1967年に彼女の生涯を振り返って「コネクティング・リンクス」という講演を行っています。

タイトルの「コネクティング・リンクス」は、彼女の生涯で起こったさまざまな出来事が、後に起こることの準備になっていて、大きな意味を持っていた、ということから付けられました。
わたしも自分の今まで起きたことの中にそれがあることを感じますが、多くの人がそれを感じる経験をしていることでしょう。

彼女の場合は、それが「リトル・スクール」を成功させ、南アフリカでアレクサンダー・テクニーク(特に教育界)を広めることの成功という、とても大きな成果に結びつきました。
その成果は、もしアレクサンダー・テクニークを教師養成コースで学んでいただけだとしたら成しえなかったことが、この「コネクティング・リンクス」を読むと分ります。

その経緯は興味深いものですが、「コネクティング・リンクス」を読むと、もう一つの柱として、「インヒビション」が何度も現れていることに気づきます。
この講演は、「インヒビション」について、どのように考えることができるかを、丁寧に教えてくれると言っても良いでしょう。

何かに取り組むときの習慣を変えること

タスカーは、15歳のときに、当時の先生の影響から既にギリシャ語とラテン語を専門にしようと決めていますが、そのときに

「今になって分るのですが、その先生が直そうとしたわたしの欠点――あまりに早く返答し過ぎることや、軽率な間違いを犯し、前提がまだ不十分なのに結論を引き出そうとすること――はまさに、「あまりに早い反応」の兆候です...自分が可能だと思っていたレベルになれず、いつも失望を感じていました。ケンブリッジ大学に進んでも同じでした。」と自分の習慣ついても気づいています。

そのやり方を続けたために、大学3年のときに病気になり、「2つの学期の間、自転車に乗ることもスポーツをすることも禁じられた。」(彼女は、中学時代は学校代表としてテニスの試合に出場していました)と書いています。

モンテッソーリと「自分が行っていることを知ること」

1912年にローマでモンテッソーリから直接学んでいたときに、エセル・ウェッブからアレクサンダーの著書を借りたのです、そのときのことについて、こう書いています。

「わたしたちは自分の欠陥や不完全さに責任を持っていて、それは「間違っていて衰えた活動を続ける」ことから来ている、と最初に読んだときに感じた興奮を、今でも覚えています。次の段落には、必要な再教育には「どの場合でも、結果 [end] よりも手段 [means] を頭に置く」ことが必要だと書いてありました。

わたしはすでに、この原則が、わたしが見学したモンテッソーリの学校で行われていることを見ていました。そこでは、生徒が何かを行うための教材は、モンテッソーリ博士によって作られていて、何を行っても、それ自体が目的ではなく、他の目的の手段として行っていました...もう一度振り返ると、これはわたしがアシュリー・プレイスで子供たちに、アレクサンダーの「ミーンズ・ウェアバイ」の原則を学業に使うことを教えるときに、教え方の基本になっていたことが分ります。モンテッソーリが言っていたことの一つは、「生徒に手段を与えなさい。決して内容を与えないように。」ということでした。 幼児教育にとても大きな影響力を持った教育者からこのように学ぶ機会を与えられたことは、本当にわたしにとって幸運でした。」

その後でタスカーがイギリスに戻ってからアレクサダーからレッスンを受けました。
その当時のモンテッソーリとの手紙のやり取りで、モンテッソーリは彼女に「自分が何をしているかを知ることを学んでいることを、わたしは嬉しく思います。」と書いています。

インヒビションとアプリケーション・ワーク

第一次大戦が始またことでアメリカに行くことになったタスカーは、1917年の春にアレクサンダーの助手になりました。
彼女の知っている児童が、アレクサンダーのレッスンにより、大きく変わたっことで、このテクニークの教育的に価値を知ったからですが、その経緯は別に書いているので、ここでは省きます。

その夏にアレクサンダーがイギリスに短期間戻っている間、女性は航海を禁じられていたので、アメリカに残りました。

「夏の数ヶ月間、彼の仕事を残って引き受けることになりました。このような状況から、わたしのアレクサンダー教師としての最初の仕事は、その大部分が「アプリケーション・ワーク(【訳注】何かに応用して使うこと)」になりました。その夏に、わたしがテクニークのレッスンを教えることができないことは、明らかだったからです。わたしができる限りで、生徒が何をやるときにも「手段」を考えるために止まる、という意味での「インヒビション」を行ってもらいました――スポーツでも、乗馬でも、水泳でも、カヌーでも、演劇でも。」

普段行っている活動でアレクサンダー・テクニークを使うときに、「インヒビション」を主要な考え方として教えることに初めて取り組んだわけです。
そのようなインヒビションの具体例を「コネクティング・リンクス」の中で彼女は、いくつか語っています。

テーブル・ワークとインヒビション

「コネクティング・リンクス」には、他にもインヒビションに関わること、多くのエピソード、アレクサンダー自身が語った興味深い話を話していますが、最後に、現在では「テーブル・ワーク」と呼ばれているものの原形がどのようだったかを引用します。

「F.M.がニューヨークに戻ってきて、わたしは「徒弟修業」を始めました。他の学習者と同じように、わたしはたくさんのことを行いましたが、F.M.のワークで実際の補助として教えたのは、彼がレッスンを行った後のいろいろな生徒に、横になってもらって [with them lying down] 「インヒビション・ワーク」を行うことです。これからわたしが多くを学んだのは、教えた体験からわたしたち全てが知っているように、生徒に与えるディレクションは自分に戻ってくるからです。そして、教える活動で自分をインヒビションし続けるとはどういうことかを、わたしは理解し始めました。」

 

■2019年10月14日(月、祝)池袋レクチャー第5回

池袋レクチャー第5回第1世代の教師を知る&アイリーン・タスカー」を、10月14日10:00~行います。
第1世代教師についてや現在の代表的な系統、その代表的な著作を紹介し、アイリーン・タスカーとその「コネクティング・リンクス」について扱います。

  • この内容は、わたしの「無料メルマガ」でも配信しています。
    そこでは、月に1回の定期配信(ブログに載せない内容)もあります。
    良かったらお申込みください。