「フリーダム・トゥ・チェンジ」はF.P.ジョーンズ(1905-1975)が死の直前まで原稿を書いていた本で(最後の章は未完です)、ジョーンズの死後の1976年に出版されました。
ジョーンズは大学でギリシャ古典を教える学者でしたが、アレクサンダー・テクニークを学び、その重要性を知り、その重要性にも関わらずテクニークがF.M.の死後消滅する危険があると考えて、1941年にキャリアを捨ててアレクサンダー教師の訓練を受けました。

マージョリー・バーストー(マージ)は、ジョーンズと深い交流があり、とても頻繁に手紙のやり取りも行っていますが、彼女は、彼を教師としてとても高く評価しています。
マージは1950年のF.M.への手紙で、ジョーンズをアメリカの代表 [representative]にしてはどうかと書いているくらいです。

「フリーダム・トゥ・チェンジ」には主に次の内容になっています。
(1)ジョーンズがA.R.から受けた個人レッスンと、F,M.とA.R.からの教師養成コースの体験と、それに関連した逸話
教師養成コースを始めるときにジョン・デューイに相談したことや、その後のデューイとの交流は興味深いものです。
デューイについては、1つの章を充てて詳しく書いています。
また、F.M.とA.R.の2人の違いについて焦点を当てた章もあります。

(2) アレクサンダー・テクニークのヒストリーとそれに関連したアレクサンダーの4冊の本の要約
デューイやハクスリ一、コグヒルの逸話などがあり、4冊の本に関連した多くの興味深い内容が書かれています。一つの章は南アフリカの名誉棄損裁判についてです。

 (3)主にタフツ大学で行ったジョーンズがアレクサンダー・テクニークに関する調査研究の主な結果
彼は熟練教師となった後で(彼の訓練の修了は1945年でほぼ40歳です)、1949年か科学的な研究を行っいました。亡くなるまでの20年以上の期間に及びます。
これらについては次回のブログで書きます。

(4) アレクサンダー・テクニークの根底のメカニズムについてのジョーンズの考え
現代の知識からすると時代遅れのところがありますが、参考になります。

(5) ジョーンズが考えたアレクサンダー・テクニークの教え方
F.M.アレクサンダーが自分で見つけて行った方法だけでなく、A.R.が彼に教えた方法も、ジョーンズは最善とは思っていなくて、彼が考えた新しい教え方を提案しています。
これについては4回目のブログで書く予定です。

これらは他の第一世代教師とは異なるとてもユニークなもので、テクニークについて新しい理解をもたらしてくれます。