フランク・ピアス・ジョーンズは、第二次世界大戦の間に、アメリカで直接フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(F.M.と呼ばれていました)から教師養成の訓練を受けました。
そのため、彼の著書「フリーダム・トゥ・チェンジ」のレッスンの記録は、アレクサンダーの1940年代(アレクサンダーは70代でした)の教え方を知る上で役に立ちます。
(有名な他の第一世代教師のうちで、マージョリー・バーストー、パトリック・マクドナルド、マージョリ・バーロー、ルーリー・ウェストフェルト、は1931年に始まった教師養成コースの第一期の、ウォルター・キャリントンとウィルフレッド・バーローは1936年に始まる第二期のトレーニーです。)
F.M.が1943年6月にイギリスに帰ったことから、2年を終えていたジョーンズの訓練はF.M.の弟のアレバート・レデン・アレクサンダー(A.R.)が引き継ぎました。
A.R.は、第1期の教師養コースでF.M.と一緒に教えていましたが、1934年にアメリカのボストンに引っ越し、ずっと普通の個人レッスンを教えていました。
ジョーンズはF.MとA.R.の両方からレッスンを受けたことは良くて、創始者のF.M.よりも、学ぶ苦労のあったA.R.の方から学ぶ事が多かった、と彼の著書「フリーダム・トゥ・チェンジ」に書いています。
(興味深いことにジョン・デューイもそう言っていたことが、この本に書かれています。)
A.R.の教え方が重要なのは、ジェレミー・チャンスの先生のマージョリー・バースト(マージ)とも関係するからです。
マージは、1934年にトレーニングを終えてアメリカのネブラスカに帰った後は、冬の間A.R.の所で補助として教えていて、彼女もA.R.から多くのことを学んでいます。 その期間はおよそ8年ほどでした。
その関係もあって、ジョーンズはマージとも深い親交があったし、2人の間で多くの書簡のやり取り行っています。
そのような経過から、A.R.がどう教えていたかはとても興味深いところです。
A.R.自身は何も書いたものを残していないので、ジョーンズのこの本はその教え方を知ることができる唯一の本です。
次のブログでは、フランク・ピアス・ジョーンズがどんな人かと、「フリーダム・トゥ・チェンジ」の内容について書きます。