前回のメルマガで、アレクサンダー・テクニークはアレクサンダー自身の声の障害から始まった、と書きました。
彼はその声の障害が、喉のせいだけでなく、身体全体の使い方から来ていることに気づき、声に直接働きかけるよりも、身体全体の働きを改善することで結果的に声を良くすることができる、ことを見つけたのです。
現在では、身体の「使い方」を変えることがアレクサンダー・テクニークの中心と考えられるようになってしまったので、アレクサンダー教師たちは、声を教えることにほとんど関わらなくなり、このテクニークが声に関わるものだということを忘れてしまっているようです。
1931年に始まった第一期のアレクサンダー教師養コースでは、トレーニーたちは3年目と4年目に大劇場で「ベニスの商人」と「ハムレット」をそれぞれ上演し、練習をかなり行いました。
アレクサンダーは、実際の場で使うことでテクニークをより深く学べるようにしたかったのでしょう。(残念ながら、第二期以降はアレクサンダーは劇の上演をあきらめました。かなり困難を伴うことと、そのような劇を行うことは、誰もが好むわけではなかったからでしょう。第二次世界大戦も迫っていて、時代の状況も変わっていたのかも知れません。)
 このことは呼吸についても同じです。ロンドンに渡ったばかりのアレクサンダーは、「呼吸の人(ブリージング・マン)」と呼ばれていて、呼吸の改善を売りにしていました(20世紀の初めの頃は、肺結核の怖れもあるし、石炭煤煙の街ロンドンでは呼吸は人々の大きな関心事でした)。
声を専門にしていたアレクサンダーが、呼吸を売りにするようになったのは、もちろん声は呼吸と密接に関係しているからです。
アレクサンダーは、初期の頃に作った小冊子で1895年にニュージーランドを公演で回っていたときに、マオイ族の素晴らしい呼吸法を研究したと書いています。
 それなのに現在では、アレクサンダー教師は呼吸について知らないと言われるまでになっています。
 それでは、アレクサンダーが教えていた「呼吸法」はどんなものなのでしょう?
彼がロンドンですぐに成功できたのは、耳鼻咽喉科の医師スパイサーが最初に彼の方法の効果を認め、俳優たちを始めとして多くの患者を紹介したからです。
4~5年ほどは、スパイサー医師とアレクサンダーは協力して活動を行いました。
そのスパイサー医師は、アレクサンダーが教えた呼吸法を「背中呼吸」と呼んでいます。
アレクサンダーは身体の部分のことと考えられることを嫌い、その呼び名は使いませんでしたが、少なくとも「背中」が良く動く呼吸法と言えるようです。

アレクサンダーから最晩年に個人レッスンを受け続けたゴッダート・ビンクリーは、レッスン日記の本「エクスパンディグ・セルフ」に、アレクサンダーの次の言葉を紹介しています。 
「君は、頭が前へ上へと行き、背中が長く広くなることを許す。背中が広くなれば、それは肋骨の肺への圧力を減らし、そして呼吸が自然に深くなり、肋骨に拡がりと収縮の動き起こし、浮遊肋骨を自由にする。」
アレクサンダーの呼吸法は、簡単に言えば、身体で呼吸に関係するすべての部分が動いて(これは、キャシー・マデン先生の言い方です)、特に肋骨が良く動く(もちろん無理なく)ように身体全体を使うこと、と言えるでしょう。
それにはアレクサンダーが言うように「頭が前と上へ動いて(彼はそれをプライマリ・コントロールと呼びました)、背中が長く広くなる」ことが重要です。
2月7日(水)と3月19(日)に坂戸ワンデイ・ワークショップ「声を出すときの意識と動きを変える」では、アレクサンダーの基本といえる声と呼吸を扱います。
どちらの日も同じ内容を行いますので、都合の合う方にご参加ください。
http://yasuhiro-alex.jp/sakado_1day/