2018年に出版されたキャシー先生の本の、翻訳を終えました。
いつものようにわたしの翻訳は、稼ぎにはほとんどならない趣味のカテゴリーのものですが、この作業を行うことで、誰よりも、著書に浸りきることができます。
今回も、この作業を通していろいろな理解が深まりましたが、今回特別だったのは、今、自分が変った感覚が強くあることです。
これは、そうは起こることではありません。
この本の題名は「アレクサンダー・テクニークを教える」で、もちろん、キャシー先生が教えている(ときどき、F.M.アレクサンダーとは真逆なことを言っているように感じる)内容が、正確にはどのような内容で、何を意図しているかを知ることができます。
何よりも、その内容がどのように生まれて来たか、の詳細な記述は、深い意味を自分の体験と言葉で考えようとするときに、素晴らしい材料を与えてくれます。
学ぶことは、喜びを持てる
それは、もちろん興味深いのですが、このブログでは、この本のもう一つの面の「教えること」について書きたいと思います。
見方に拠りますが、この本の3分の2は、「教える」ことについて書いているからです。もちろんそれには、「教える」ことの基本にある「学ぶとはどういうことか」も含まれます。
良い先生の根底には、自分でもいつも学んでいること、があると思うのですが、この本は、「人の本当の学び方」の提案があります。そして、その考え方から、わたしたちが、教師として、または親として、または何かのリーダーとして、どういう方法が取れるかを示してくれます。
この本は、それが、「~すべきだ」とか「正しい」ことを行う教育とは、異なることを言っています。その今までの教育は、反論できないように思えることもあって、学ぶ人も、それを教える先生も(親も)苦しめます。
先生は(そして、普通に生活しているわたしたちも)、「自分に対して批判し過ぎで」「不親切」になる必要はないのです。
学習は、「望み」からスタートし、それを持ち続けることで、「成功するし、喜びを持てるもので楽しく、効果をもたらすもの」なのです。
この本は、そうできるようにするための提案です。
この本を何度も読み直しました。
出版されてすぐに購入して読み、次に翻訳のために、1)下訳、2)本訳3)画面上チェック、4)印刷によるチェック、5)簡易製本チェック(このときは、いつもわたしが本を読むときに行うカラーマーカーを使った、綿密なリーディングも)行いました。
最後に思ったのは、わたしの以前の27年間の高校教員生活で、この内容を知っておきたかったことです。
そう思うのですが、実は、ようやく自分がこれをかなり理解できるところまでたどり着いた、ということが、本当だと気づきます。
キャシー先生が書いているように、これから起こることも含めて、全て起こることが、学びであるなら。
最後に、この本の中での、キャシー先生が書いた「ディレクション」誌の内容の引用を示します。
「親業を行うことは、ただ学びになるだけです――わたしたちの子供と、わたしたちの状況はいつも変わっています。しかしそれでもおそらく、一人の親として、わたしにとっての最も大きなチャレンジは、良い親になろうとせずに、一人の親になることを学ぶことです。アレクサンダーの発見を通して、わたしの考え方は、何か思い描いた結果ではなく、毎瞬毎瞬の関わり合いに対する視点に。シフトしました。わたしが親業を、自分と子供たちについて学ぶプロセスで、何かの正しいやり方でわたしが行うことだと考えなければ、わたしはわたしの子供たちに、柔軟性とコーディネーションを教えることでしょう――彼らの身体に、精神に、心に。」
ここで、「親」と書いている部分は、「先生」と置き換えることもできるでしょう。
この本をじっくり読むことで、そのような柔軟な自分に変れる、という気持ちにさせてくれます。
この本を、簡易製本版で販売しています。