F.M.アレクサンダーの書簡集(上巻300ページ、下巻 374ページ)が、先日(2020年5月末)に発売されました。

コロナの影響で、日本への発送がストップしていて、いつになるか分からなかったのですが、幸い先日届きました。

彼が書いた手紙のうちで、1916年(アレクサンダー 47歳)から、亡くなる1955年(86歳)までの685通の手紙が収められています。
つまり、彼の人生後半のものです。

さらに、この書簡のほぼ9割は、第二次大戦が始まる(1939年)少し前からのものなので、より正確には、大半が、アレクサンダー70歳以降に書いた手紙、ということになります。
これが、残っている手紙の中の、そして所有者が公開を許可したものだけ、ということを考えると、ほんの一部だということが分ります。
解説に、「ほぼ毎日書いていた」、と書いていることもうなづけます。

テレビもない時代に、読書家でもなく、社交界を嫌い、アルコールも適度にしか飲まなかったアレクサンダーは、手紙を楽しんで書いていたのでしょう。
彼がペンを持っている写真は、1枚しか知らないのですが(わたしが訳した、CCCの表紙に使いました)、彼のユースは、とても良かったことと思われます。

まだ最初の部分しか読んでいませんが、平和な時期ではなく、ほぼ第二次大戦の期間(戦前、戦後の混乱期も含めて)なので、その状況がリアルに現れているはずです。
アレクサンダーは、開戦の翌年(1940年)にリトル・スクールとアメリカに疎開し、3年の後に、戦争終結の2年も前にイギリスに戻り、爆撃にもあっているからです。

1970年代、80年代のアレクサンダー界

手紙そのものではないですが、これらの書簡の大半を集めたアメリカのミッシー・ヴィニヤードは、序文の中に、興味深い次の文を書いています。

「わたしがアレクサンダー・テクニークの教師になり立ての頃、F.M.アレクサンダーについての全てを知りたいと、とても強い願いを持ちました...それが簡単ではなかったのは、彼の本は絶版になっていたし、図書館でも見つけることは困難だったからです、特にアメリカでは。」

ミッシーは、「How you Stand How you Move How your Live」という読み易いアレクサンダー・テクニークの本を書いていますが、彼女のWebページを見ると、1975年にトレーニングを修了したと書いてありました。
つまり、これは、1970年代後半から1980年代の状況です。ジェレミー・チャンスがロンドンでトレーニングを受けていた頃ですね。
イギリスでさえも、アメリカほどではないにしても、現在手に入る情報源の書籍の多くは、まだ出版されていませんでした。

テクニークの情報源も、主に、教わっている先生からでした。
その点、現在は恵まれていると思います。
(余談ですが、1981年にわたしが修士の研究用に、洋書を購入したら、9月か10月に頼んで、研究発表が終わった2月ごろに到着したことを覚えています。)

ミッシーの凄いところは、その後いろいろ調べようとして、その後、アメリカから毎夏ロンドンを訪れた所です。その中で、彼女は書簡を集めました。彼女は、アレクサンダーの甥のマックスや、姪のマージョリー・バーローにも会っています。
とても活動的ですが、わたしはアイルランドのコングレスでミッシーさんのクラスを受講していますが、感じの良い方でした。

本当に先人たちは、苦労していたと思います(それは、面白くもあり、理解を深めたという面もあるでしょうが)。

筆まめなアレクサンダー

アレクサンダーが、どの位筆まめだったかを、今回のブログの最後に書いておきましょう。
この書簡集に載っている彼の奥さんのエディスへの手紙の日付です。彼らは、結婚3年目で、アレクサンダーは48歳、奥さんのエディスは彼より4歳年上でした。
(彼は初婚で、1910年に亡くなった親友のロバートに、彼の奥さんのエディスの面倒を見るように頼まれていました。彼ら3人は、オーストラリア時代に一緒に活動していて、アレクサンダーがシドニーで劇団を作りシェークスピア劇を演じたときには、エディスは、ポーシャ(ベニスの商人)、オフィーリア(ハムレット)の役を演じています。)
アレクサンダーは、第一大戦の始まった1914年から、毎年、半年をニューヨークで教えていました。

アレクサンダーは、3ヶ月間に次の日付の手紙をエディスに書いています。
1917年
2月 22日, 25日, 27日
3月  1日,  7日, 8日, 17日,  21日,  26日, 30日
4月  7日, 8日, 25日,27日
(この期間以外のエディスへの手紙は、残っていないようです。)

当時は、船便ですから、到着は約2週間かかっていました。
そのことと、年齢と、結婚3年目と、このときの彼の業務の多忙さを考えると、彼の筆まめさが分ると思います。