アレクサンダーから直接教えを受けた第一世代の教師のペギー・ウィリアムズとマーガレット・ゴールディは、アレキサンダー・テクニニークを使うときに、自分にうるさく言うよりも、「静かに」させることがとても大事だと言っていました。

これは書道家などにも、共通することでしょう。墨をする30分の準備が必要だと言っている人たちは、自分の状態にとても敏感なのですね。
私たちはそこまではとてもできませんが、短時間で行える自分なりの身体と心のルーチンを作ることはできます。 
いつもは何を考えて準備をしているか、を知るために、試しに次を行って自分の心の動きを観察してみて下さい。
1)「一」の字を書いてみて下さい。

2)「十」はどうでしょうか。

3)「山紫水明」と書いてみて下さい。

4)自分の名前を書いてみてください。
何を観察しましたか。
書き始める前、書いている途中、書いた後、どんな考えが浮かんだでしょう。
上手く書けるかどうか、心配しましたか?
それぞれの画の線のことはどう考えましたか?
何かに気をつけよう、と思いましたか?
それとも、全く別のことを考えながら書きましたか?
特に、書いている途中はどうで、そのときの身体の使い方(脚、胴体、腕)はどんな風に使っていましたか。
人の心はいろいろに動きます。
名前のようないつも書いているものには、決まったリズムと意識があるかもしれませんね。
 
(2)意識の連続性
字を書くときに、一画、一画の線や、一つ文字について注意して書くときと、連続的に文字を書き続けるときには、意識の持ち方が異なります。
その両方について、自分がどう心を使っているかに眼を向ける必要があることでしょう。
特に連続的に書き続けることは余りないものです。
近くにある本の文を使って、1分または2分間を連続して書き続けてみて下さい。
 
みなさんの心の動きは、どうでしょうか。
細かいことに気が付いたとしても止まらずに、一定の意識を保ち続けることは意外に大変です。
また、そのときの身体の使い方はどうでしょうか。
ジョッギングだったら、30分以内とそれ以上だと何となく意識の感じが違います。
演奏家だったら、独奏で5分以上の長さの曲を弾くときには、短い曲のときとは異なる意識が必要になることでしょう。
また、日によって異なるので、その日は良い精神状態にならない、ということもあるでしょう。
(プロだったら、どんなときでもある程度の状態を作れる練習をしているのでしょうね。)
写経などは、一人で家で行うよりも、お寺などの場に行ってやる方が、意識を保ちやすいことでしょう。
それらは、生活の中の「意識」と「身体のトーン」の連続性にも結びつきます。
字を書くことで自分の心に眼を向けて、それを日常生活につなげる発見にしてみませんか。