教師養成コースの生徒たちはトレーニングをどう思ったか

FMアレクサンダーから直接トレーニングを受けた人たちは、それをどう感じていたのでしょうか。
どのような小組織もいろいろなことが起こるものですが、FMのトレーニングコースは必要以上に大変だったようです。
トレーニングコースの生徒たちには、個人レッスンの生徒とは異なり、FMももっと自主性も要求したのでしょう。
今回も、著作などを引用して見て行きます。

■ルーリー・ウェストフェルト(1931年にトレーニングを開始)

ルーリーによると、最初はとても順調に始まりました。
「FMは、機知に富んだ人で、とても楽しいクラスでした。
彼の話の多くは、可笑しな話か、ジョーク、ウィットのある返答でした...

トレーニングの初期の頃は、生徒とアレクサンダーとの関係は最も良いものでした。
何も重大な問題はなかったし、テスト的なことも無く、問題が起こるようには見えませんでした。」

これが1年目の後半から、大きく変わります。
「ときどきFMは、教えるときにひどく飽きて見えることがありました。
そのようなときわたしたちは、何かFMの興味を呼び起こすようなものを提案したり、質問したりできないかと相談し考えました。
FMが教えることに飽きること、特に、将来このワークを教えるわたしたちを教えることに飽きることを知ってショックでした。・・・

わたしは3月に来て、半年近くも毎日レッスンを受けているのに、アレクサンダーの最初の指示も理解していないし、自分でどうワークを実行して行ったらよいか、分かりませんでした。

わたしたちはゲームのルールが変わったことを知っていましたが、どうして変わったのかや、どの位変わったのかについては良く理解していませんでした。
われわれは、自分自身でやらなくてはならないのだと、少し分かり始めてきました。自分たちが、責任を持つ必要があったのです。

大事なことは、彼がトレーニングコースを始めたことで、そのためにわたしたちが学ぶことができるということでした。」
( Lulie Westfeldt「 F. Matthias Alexander The Man and his Work」)

■マージョリー・バーロー(メチン)(1933年にトレーニングを開始)

FMの姪のマージョリーはルーリーの親友でありながら(後にアメリカのルーリーの所に遊びに行きました)、全く違ったFMの描き方をしています。

「FMは、いつも彼にとって自明なことを、他の人に伝えるかを苦労して見つけようとしていました。
決して、何かの定型的なやり方を使って、ワークをしようとはしませんでした。
どんなことについても、決まった方法というものが、本当にありませんでした。
何がレッスンの中で起こるかは、予想できません。
わたしたちは、そこにいれて本当に幸運でした--ある意味でわたしたちはモルモットでした。
彼はわたしたちを使って、人を訓練する方法を見つけようとしていました。

みなさんが正しい質問を彼にすることを知っていたら、彼は答えてくれます。
でも、どうすればそれができるか知っている人はわずかです。

FMについて書くときに、人が忘れているのは、彼がとても愛情深かったということです。
彼は、トレーニングコースのわたしたち全員を好きでした。
わたしは、クラスでの状況にとても敏感だったので、彼がトレーニングコースを嫌いだったということは本当ではないことを保証します。
彼は、そこにいることをいつも楽しんでいました。他の所に行きたいとは思っていなかったのです。

わたしがワークを信じている理由は、3冊の本に根差しています。
彼が人々に与えていたのは、生き方を変えることになる変化です。
たとえ、ワークを受けている人が、何が起きているかや、どう自分で進めるかについて、僅かな考えもないとしても、それは起きています。」
(Marjorie Barlow 「Examined life」)

■ウォルター・キャリントン(1936年にトレーニングを開始)

ウォルターは第二期の生徒なので、少し後に学んだ立場から書いています。
「わたしが聞いた限りでは、最初のトレーニングコースにはいろいろな問題がありました。
FMが後に言っていたように、生徒を訓練するという体験が無かったからです。
彼は、著書「自分の使い方」で、自分の体験をできる限り明確に書きました。
そのブループリント(青写真)があり、質問があれば彼に聞けるわけですから、生徒たちは自分で理解して行けると純粋に考えていたのです。彼はそれで完全にうまくいくと本当に考えていました。
FMは、生徒が自分のように、自立した自己探求型の人間だと考えていたのでしょう。

トレーニの誰もが最初の学期は幸せで楽しそうに見えました。
でもその終わりには、FMは、幻滅を感じ出しました。
生徒が、自で問題を考えだして、それに取り組もうとするようには見えなかったのです。
「生徒たちがやっていることは、ただ周りにいて、わたしを猿のように真似するばかりだ。」と彼は言っています。
彼は、学ぶときに模倣は役に立たないと思っていましたので、彼がイヤ気がさしたのは、理解できるでしょう。
もちろん生徒の考えは全く違っていて、それについてはルーリー・ウェストフェルトが彼女の本で良く書いています。
彼女が書いていることが理解できるのは、生徒たちは、「教えることができるよう教えてもらえる」と期待してトレーニングコースに入っただろうからです。
自分で見つけなくてはならない、という考えはありませんでした。

パトリック・マクドナルドは、授業の進め方に飽き飽きしていました。アレクサンダーが午前にクラスを教え、生徒たちは、昼には近くのパブで食事をして、戻ってライング・ダウンを行っていました。
彼はこれでは、何も変わらないと思い、自分たち自身で何かを始めて、取り組むべきだと考えたのです。
アレクサンダーが、自分の頭が前と上に行かなくてはならないことを発見したのだから、自分たちが教えるときにも、生徒の頭を前と上に持って行かなくてはならない、と推測しました。
マクドナルドはこの原則に基づいて、何人かの生徒と一緒に取り組み、彼らは、手を使って互いに上へ行かせようと実験しました。
しかし、もう一つのグループの生徒達は、その実験は全く間違っていると考えました。
FMは「みなさんは、なにもしないことを求められています。」と言っていたからで、そのように「すること [doing]」は、原則に反しているに違いなかったからです。

わたしが彼らに出会うまでに、生徒たちは2つのグループに別れていました。
1つのグループの手の使い方は全く効果が無いもので、わたしは、彼らからワークを受けていても、時間の無駄だと思いました。ただ、触れているだけだったからです。
もう一つのパトリック・マクドナルドのグループは、何かを持っているようで、彼らとだったら、どこかに行けそうだとそのとき感じました。

わたしがトレーニングを受けていたとき、先生たちは急速に学びを進めていると強く感じました。
パトリック・マクドナルドはとても良い先生でしたし、何かを掴んでいました。マージョリー・バーローもそうです。
他の先生たちの何人かはそれほどではなかったですが、それでも彼らもやがて理解するだろうと、わたしには思えました。」
(Walter Carrington 「Personally Speaking」)

次の回で、もう少しこれについて続けてみます。

前へ    次へ「アレクサンダーが行ったアレクサンダー・テクニーク教師養成6」