私家版して「エリカとペギー、ハンターによる第一世代教師」という訳本の紹介ですが、今回は
パートⅡのペギー・ウィリアムズの内容です。
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ペギーは1916年にイギリスのマンチェスターで生まれました。
(ウォルター・キャリントンとマージョリ・バーローは1915年生まれなので、その翌年です。)
幸せではない子供時代を過ごした後に、21歳で結婚し、その後F.M.からレッスンを受け、1947年9月(31歳)にトレーニング・コースに入学しました。
ATは、彼女がいつも精神面で感じていた「怖れ」を取り除き、再び生きることができるようにしてくれました。
しかし、トレーニングは、最初は「精神的にも身体的にも大きな苦痛」(彼女の言葉から)を与えるものでした。他の人の体験とはとても異なります、
4年間(FMが脳卒中で倒れたので1年間の追加がありました)の後で、3年ほどアシスタントとしてコースにとどまり、それまでもらうことを拒んでいた修了証書を1955年2月に受け取りました。
ペギーはアレクサンダーの死(1955年)後、ウォルター・キャリントンのスクールで19年間も教え、1972年から亡くなる2003年までは個人レッスンを行いました。ハンズ・オンが強い作用を持つことで有名でした。
ここには、次の3つを載せています。
1.グレン・パークによるインタビュー
1981年11月
2.ジョン・ハンターによるレッスンの記録
1986年~1989年
3.「アンスマッジド [unsmudged]」抜粋
「アンスマッジド」は、ナネット・ウォルシュによるペギーについての本です。
ナネットは、ペギーの最晩年の1999年からレッスンを受け始め、本を書くためのインタビューを了解してもらいました。
目次は次のようになっています。
この本で訳したのは、パートⅠの2章と、パート2、パート3,エピローグです。
パート1 ペギー
1章 子供の頃の不幸
2章 大きな幸運が訪れる
3章 終わり、そして始まり
4章 ハイ・ゲイトに移ってから
5章 晩年
パート2 ペギーとのワーク
・ペギーの手
・1999年10月のレッスン
・2000年2月のレッスン
・2001年5月のペギーとのワークの交換
パート3 アレクサンダー・テクニーク
・原則と実践
・教えることについて
エピローグ