何かの動きを行うときに、その動きを言葉で自分に指示することの効果はとても大きいのですが、ほとんどの人はそれを知りません。

アレクサンダーが教えた言葉による指示

アレクサンダーは、自分の習慣的な動きを変えたいときに、まずその動きに「ノー」と言うようにと指示しました。彼は、「その動きをやらないように」と指示する代わりに、「ノー」と言うようにさせたのです。
これは、脳の中で「言葉の指示」を行うことです。
いつもの脳の活動に、「ノー」という言葉を言うプロセスを加えることで、変化の可能性が生まれます。

次に彼は、「首が楽で、頭が前へ上へ、背中が長く広く」と言うように、と指示しました。
これも自分の脳の中で「言葉の指示」を行うプロセスです。
(御存知のように、それを「実行しよう」としてはいけません。)

このようにアレクサンダーは彼のテクニークを使うときに、言葉による指示を行うことを重要だと考えていたのです。
(これは必ずしも、声に出して言う、ということではありません。頭の中にその言葉を言えばOKです。)

動きを言葉で指示することと意識的なコントロール

しかし、ほとんどの人にとってこのプロセスは慣れないので、できるようになるにはかなりの練習が必要です。
普通はそれをスキップして、何度も行うことで感覚で身に着けようとするからです。
(残念なことに、アレクサンダー・テクニークを学ぶときでさえ、油断するとついそうしようとしてしまいます。)
もちろん多くのことが感覚だけで習得できますが、そうでないこともあります。
不慣れなやり方が必要で何度やってもうまく行かなかったり、できると思ったのに実際の場面になるとそれを行なうことができない、というようなことはないでしょうか。

そのようなときに、言葉を使って指示することができれば、アレクサンダーの言う「意識的なコントロール」になります。
アレクサンダーは「意識的なコントロール」を持つことを著書の中で繰り返し繰り返し強調しています。
それには2つの意味があります。一つは今説明したことで、活動の中で、「ノー」や指示(ディレクション)の言葉を言えるようになることです。
もう一つは、起こっている状況を判断して、自分がいつもの慣れた反応をしていては、うまくいかない、と気づけることです。
(この「意識的」もとても難しいのは、ほとんどの人が、自分の慣れた反応に問題あると思っていないからです。自分の課題を見つける能力は、「意識的」でいることと大きく関わります。、それが無ければ、一番目の意識的なコントロールも面倒臭くて使おうとしなくなるでしょう。)

いつも言葉による動きの指示を行っている人たち

言葉で動きを言うことは、特別なことと書いてきましたが、日常的にそれを行なっている人たちがいます。
何かの動きを教える先生やインストラクターです。
先生になれば、動きを口で言いながら、自分の身体を動かすことになるので、そのことが自然とできてきます。
おそらく多くのインストラクターが、自分一人で練習しているときよりも、生徒の前で行う方が、良く動けていると感じているのでないでしょうか。

応用例

アレクサンダーのコーディネーションの指示以外に、動きを言葉で言うことが役に立つ例をわたしの体験から書いてみます。

(1)日常生活で中腰になる動き

わたしは、年齢とともに、中腰になる動きが、だんだんとうまくいかなくなっていることに気付きました。特に、床の上の物を拾い上げたりするときです。
(「クラスでは、中腰の動きを見せているではないか」という声が聞こえそうです。
 そうなのです、人前ではかなりうまく見せることができるのですが、実生活の中で中腰になる動きが出て来ると、少し問題があると感じていました。)

次の3つが役に立ちました。
1)中腰になるときに「膝が前へ」の指示を明確に自分に「言う」
2)1日の中で何度も意識して中腰になる動きを行う
 (使わなければ、わたしたちの脳は重要ではないと思ってしまうので)
それに
3)クラスで教えているというつもりになる
 (れは、「一人で行うときもパフォーマンスにする」ということです)

(2)ギター
弾くときに、その音のドレミを言ってみる、コードを言ってみる、があります。ときどき行うと有効です。
現在他にも無いか探求中です。

みなさんも、どうか自分の活動の中で、関係することを自分に言いながら、動作を行うことを試してみて下さい。
もう分っていると思う単純なことを思い出すように脳に刺激を与えると、身体は動きを変えることでしょう。