ゴッダード・ビンクリーの「Expanding Self(拡がる自分)」の内容を紹介しています。
ビンクリーのアレクサンダーとのレッスン頻度
ビンクリーは1951年の7月からレッスンを受け始めました。
1953年1月12日の日記に、「その日のレッスンがその年の3回目で、全部で72回目」と書いています。
つまり、1951年7月~1952年12月までの18ヵ月で69回のレッスンを受けたことになり、平均すると月に約4回になります。
実際には、1951年の日記の記録では、
7月 3回
8月 0回(ビンクリーは旅行をしていた)
9月 6回
10月 5回
11月 12回
12月 1回
の記述があります。
この8月のように、長期に渡ってレッスンを受けない期間もあったので、受けているときは週に1~3回のレッスンだったことでしょう。
彼は、アレクサンダ―からレッスンを受ける前に、すでにニューヨークで1年以上のレッスンを受けていました。
そのため、アレクサンダーの個人レッスンの慣例になっている「最初に30回を集中的に受ける」では始まらなかったようです。
ビンクリーのアレクサンダーとのレッスン記録を見るときは、内容だけでなく「レッスンのどの時期か」に注意すると良いと思います。
レッスンを通してアレクサンダーはチェアを教え続けた
この記録でとても興味深いのは、アレクサンダーが教えた内容の全てがチェアに関連したワークだったらしいことです。
アレクサンダーはどの生徒にもテーブル・ワークを行なわなかったので、それが無いのは当然ですが、モンキー、ウィスパード・アー、ハンズ・オン・バック・オブ・ザ・チェアも、日記に現れてきません。
これはアレクサンダーがチェアに、本当に多くのことが現れることを見ていたからです。
ビンクリーがレッスンを受け始めたばかりの1951年9月7日の日記には、この「イスに座る」についてアレクサンダーの次の言葉があります。
「わたしは、生徒に『座りなさい』と言い、すぐに『同意しないように』と言う。
間違ったことをするための刺激を与える必要があるのだ。
それがなければ、間違ったことをやることに『ノー』と言う機会、つまり『いやわたしは座らない』と言う機会を持てないのだ。
そうではないかい。でも、『座りなさい。でもそれに同意しないように。』と言っても、ほとんどいつも、生徒はまだ座ることをやろうとしてしまう。
それが問題なのだ。」
「もし時間があれば、この『座る』という一つだけでも半ダースの本を書くことができる。この『座る』という単純な行動に、全てがある。」
これをいかにアレクサンダーが重要と考えていたかは、これに続く次の言葉から伺えます。
「君の国の有名なデューイが、夕食で「人の価値を判断する一番の基準は何か?」と聞いてきた。
わたしは『何かをしないと決めることができて、その決定を守り続けることができるどうかだ。 』
と答えたんだ。」
それではアレクサンダーは、チェアで何を教えたのでしょう。
動きとしては、イスから、立ったり座ったりと、イスに座りながら、前傾や後傾をするなどをビンクリーは書いています。
アレクサンダーとのレッスンを始めたばかりの9月20日の日記には、こう書いています。
「わたしたちが座ったり立ち上がったりするときに、いかに自分が持っている意図を止めようとしてしまうかを、再び良く分かった。
わたしたちは、イスから立ち上がるときに、頭を後ろに引き、胴体を前に押し出し、そうして必要なエネルギーの2倍も3倍も使ってイスから立ち上がろうとする...」
そして、このような記述が、2年間のレッスンの間中、何度も何度もでてきます。
それは、でも、現れてくる度に深くなっていきます。
例えばアレクサンダーとのレッスンが進んだ2年目の後半の1953年1月12日でさえ、ビンクリーは自分の進歩も認めながらこう書いています。
「ディレクションとコントロールについて、自分が新しい次元で行うことができるようになった、といろいろな点で思えている。
12月の最初の2回のレッスンで、この考えを確認した。
でも今日のレッスンでは、わたしは自分が前と同じ問題に突き当たっていると感じた。
アレクサンダーの次の言葉がそう示している:
『君がイスから立ち上がるときに、わたしを助けないように。
君はどうしても、そうやろうとしてしまうんだ。
わたしが君の助けを望まないと、君がよく知っていても....』」
興味深いのは、ビンクリーは、これを「できなかった」ことと捉えずに、学習のプロセスととらえていることです。
彼はこう続けています。
「なぜなら取り組んでいるのは原則であって、成長と変化のプロセスだからだ。そこには完全な最終段階というものはない。」
アレクサンダーも実際に、これらをステップとして教えていました。
その後の1月19日の日記に記されたアレクサンダーの次の言葉から、それが伺えます。
「わかるだろう。これは本当に、信じることと、意図を持つこと、についての問題なんだ。
わたしたちは自分の信じ込みを消し去らなくてはならない。
問題は ミーンズ・ウェアバイを信じることを、拒んでしまうことだ。
座って、その信じ込みがどこから来るかを追って行けば、その大元にたどり着くだろう。
ミーンズ・ウェアバイアを長く保てない理由を見つけることだろう...
このユースを培って行きながら、できるだけ最小限に生徒に手を使うようにしているんだ。」