授業のスタイルについての8回目です。
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(8)関連させること、全体性
授業で一つの単元を学習するとしましょう。
例えば理科で、オームの法則などの電気の回路を学びます。
考え方を理解し、基本的な事項を覚え、テストを受け、それが終わると次の単元に移ります。
でも、もうオームの法則は、その後で出てくることはありません。
出てくるとすると入学試験でしょうか。
一生使わない知識のように感じます。
次の単元も、それほど興味を感じません....。
そのような学習がずっと続くと思うと、息が詰まると感じることでしょう。
(社会人になって、仕事が単調で、自分が成長するような感じがしないときに感じる閉塞感と似ています)
先生は少しでも興味を持てるようにと授業を構成するでしょうが、それでも生徒にとって、関連がない知識が続くように感じます。
なぜ教科書がそのようになるかは、教科書の作成に参加してみるとわかります。
教科書の作成では、まず内容の項目を洗い出し全体の章立てを決めます。
それから、数人の著書で担当を決めます。
各担当者は、自分の範囲内で完結するようにと考えるので、他の著者と関連させることは、余りないのです。
シュタイナー教育の全体性
教える内容に関連を持たせることについて、シュタイナー教育は驚きでした。
今、手元に子安美知子さんが書いた「ミュンヘンの中学生」という本があるので、そこから紹介します。
シュタイナー教育には、「エポック授業」という授業形態があり、午前の100分間を使い、2週間から4週間ほど連続して一つのエポックを学びます。
一つのエポック、例えば「歴史」のエポック授業では、その時代の音楽を扱ったり(時に演奏したりする)、絵を描いたり、劇をしたりなどいろいろな要素が現れてきます。
それらの材料よりも大事なことは、内容に「直感や自分の根源からでてくる発想を十分くぐり抜けさせる(同著P.129より)」ための時間を取ることです。
この幅広さによって、人の活動にはいろいろなことが結びついていることを根底に持ちながら、授業が構成されています。
無秩序にただ関係があれば良いわけではなく、この関連性は「全体性」といえるでしょう。
30年以上前にこの本を読んだときは、そんなマルチタレントの技術は自分がマスターできるはずはないと思いました。
エポック授業の内容は、先生自身で内容を考えなくてはいけません
(シュタイナー学校には教科書自体がないのです)。
しかも8年間(日本で言えば、小学校1年から中学校2年生まで)、同じクラスを一人の担任が持ち上がりで教えます。
広さを要求されると同時に、教材研究の量は半端でないことが簡単にわかります。
でもこれは、「技術(スキル)」ではなく「態度」でした。
生きることに対する「態度」ができていれば、良いのだと思います。
でも、当時のわたしには、そのような「態度」もなかったので、やはり教えることはできなかったと思います。
そのような教育など受けていないので、自分が学んだ工業分野の狭い「技術」を教える方がはるかに楽です。
アレクサンダー・ワークとのつながり
今のわたしは、アレクサンダー・テクニークを10年以上かけて学び、教えて来た体験の中で、
「全体性」とは何かの感覚に目覚め、ようやく「態度」という部分に眼を向けることができる気がします。
「全体性」は、生活の中で現れてくるものについて、いかにそれを見て、いかに自分を使っていくかです。
アレクサンダー・ワークを教える中で、生徒さんの動きや、さまざまな活動を見て、共に考える中で、
今ならそのようなことを教えることができるような気がします。
これを書きながら、BodyChaceがその基にしているマージョリー・バーストーの教え方は、
生きること全体に対する「態度」ということに眼を向けている点で、
革新的だということがうなずけました。
スパイラル(螺旋)的な進み方で、何度も登場させる
これらのことを、教員時代には意識していたわけではありませんでした。
でも、1つの科目の中でさえ、余りにその内容に関連がないことは強く感じていました。
その対応策として行ったことは、
1)重要なことは1年の中で何度も登場させる
2)スパイラル(螺旋)的に、授業を進める
3)授業の内容を精選する
でした。
1)は理解できることと思います。
2)は、授業をいわば「ブロック的な独立した時間単位」の積み重ね、としないことです。
他のテーマに移っても、また戻ってきて、少しずつ理解と自信が深まって行くように進めることです。
例えばこのようなことを行いました。
■プログラムの並び替え処理の学び方
「並び替え」というアルゴリズムは、例えば数値を大きい順に並べるというものです。
生徒はこれを、なかなか理解しません。
そのため苦手意識を持ち易くなります。
まず、最初に考え方を理解させ、何度か小テストを行います。
この時点で、とりあえず1回は理解できたという感覚を作りました。
でも、このままでしばらく使わないと、「理解したけれど難しかった」という記憶だけが残ってしまいます。
そのため、次の項目を学習した後に、並び替えも必要なプログラムの作成を課題にします。
それを機会があるごとに行いました。
単純なことのようですが、このようにときどき使うことで、生徒に「使える」という感覚ができてきます。
そのことが、さらに理解も助けることを感じました。
■パケットキャプチャーソフトでの学ばせ方
パケットキャプチャーとは、コンピュータネットワークの通信内容を見ることです。
このソフトを使うことは、とても重要でした。
これにより、ネットワーク技術という抽象的な内容を、実感として理解できるからです。
その感覚ができると、インターネットを使っているときに、実際の通信が見えるような気がしてきます。
でも、このソフトを使うには、慣れとネットワークの知識が必要です。
そのため、生徒一人一人が、自分自身でこのソフトを使う必要がある課題(レポートとして提出)を準備しました。
それを1年間の授業の中で、幾つか準備し、徐々に高度な使い方ができるような進め方を考えました。
「慣れる」ということについても、授業が積極的に関わるようにしたわけです。
3)の「授業内容を精選する」は、前述のことをやっていては、授業時間が無くなるので、当然のことです。
知識の羅列で、余り後に出てこない部分にかける時間は少なくしました。
板書は、言葉の定義などは書かなくなり、思考過程を追えるようにと変わって行きました。
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