授業のスタイルについての6回目です。

(6)課題を学習に使う

一校目の狭山工業高校では、3年生を卒業させた後の2年間は進路指導を担当しました。
バブルの時代で、1年間に2千社からの求人を受付けました。
求人票の受付が始まる7月は、毎日お菓子が職員室に並び、生徒たちの就職試験の合格率は驚くほど高く、成績の低い生徒が大企業に合格して驚いたものです。
逆に、大学進学は、1クラスから推薦で1~3名ができる程度で、現在のように推薦であればかなりの割合で大学に行ける状況とは、隔世の感があります。
大学進学をするものたちは、本当に勉強が必要でした。

その2年間の後に、新座総合技術高校の情報技術科に異動しました。
すぐに2学年の担任になって忙しかったことや、当時の新座総合には「汎用機」という大型コンピュータがあって、(当時のシステム全体のリース代は月額200万円を超えていました)、その扱いに慣れるまで苦労しました、
でも、徐々にこの新しい学校が見えてきました。

1983年に新構想の高校として設立された新座総合技術高校は、開学当時には全国からの見学がひっきりなしにあったそうです。 確かに多くの点で違っていました。
教えるという点では、2つのことが驚きでした。
一つは、1年生の授業態度が、学年が終わるときに入学時より良くなっていたことです。
もう一つは、3年生が1月になっても休まないことでした。それどころか、1月は「おまけ」ではなく、「集大成」になっているのです。 これには次の2つの要因がありました。

1)課題を使って、学習の内容を深め、定着させる授業

それまでわたしは、生徒は入学時には意欲が高いが、徐々に熱意が下がってくるものだと思っていました。 実習などの実技的な科目は別ですが、40人に一斉に授業を行う座学は単調になり、意欲を持続させることが難しいと感じていました。
ところが、新座総合は逆なのです。1年を経た方が、生徒の授業の集中度は上がっています。
これは、教室で行う授業の内容が、その後に行う「コンピュータプログラムの作成」や「実験・製作」という「課題」に、密接に結びついているからでした。
生徒にとって、それを知らないと困るという状況を作り出しています。

他の工業高校にも、課題の提出がありますが、実験機器の台数に制約があり、少人数のグループ学習をローテーションで行うようになっています。
そのため、それは授業からはやや独立した内容にせざるを得ません。
新座総合で行っていたように、「授業内容」と「課題」を、そこまで密接に結びつけたシラバスを作れることは驚きでした。
そのためには、「伝える知識の部分の内容の精選」と「学習内容を網羅するような適切な「課題」を作る」ことの2つが必要です。

2)3年生の卒業課題

狭山工業では、3年の1月の授業は「おまけ」のようなものでした。
生徒は、車の免許の取得のためなどに、休んだりします。
(これは、1年目のわたしにとっては救いでした、困難な授業も人数が少なくなると少し楽になります)

新座総合技術高校では、3~4人のグループを作って行う卒業課題の制作があり、1月はその完成に追われます。授業でも週に8時間程度かけているのですが、多くのグループが放課後も残り、夜の7時まで作業をします。
学年末テストの後には、1日かけて発表会を行っていました。
自分たち独自の作品に意欲を持って取り組むことが、生徒の「意欲」「達成感」「仕事を実際に行う能力の育成に」効果があることを目の当たりにしました。
(その何年か後に工業の「学習指導要領」が変わり、科目「課題研究」が加わりました。
新座総合で行っていたような課題解決型学習の効果が認められた結果です。
でも、週の授業時間が2~4時間と少なく、わたしたちにはそれは中途半端なものに感じられました。)

ここで、書いたことは新座総合といっても情報技術科の例でしたが、他学科でも、たとえばデザイン系の学科では生徒が課題の作品制作に追われて徹夜することを見たりしました。
授業はこなすものでなく、学科のめざす能力の育成を行うことについて、新座総合は明確だったのです。
それを念頭において、カリキュラムとシラバスを作ることで、生徒の授業への心構えが異なったものになります。

この形を作り上げた先輩の諸先生たちの発想と努力に敬服します。 教科書や学習指導要領のせいにせずに、それを踏まえつつも、教える先生が、学習内容と生徒の意欲についての責任を持っていることが感じられました。

わたしも、自分の授業にこのやりかたを取り入れようとしました。
課題を使ったら、授業の構成がどう変わるかと考え、機会をみつけては課題を取り入れるようにしていきました。
そうしていくうちに、試験のための授業から、意欲の育成と能力育成の授業に、徐々に変わっていったと思います。
工業の学習科目といっても、授業の内容には、多くの生徒が後から使わない内容はたくさんあるし、細かいことは必要があったときに個人で学べば良いのです。
それよりも、自分で興味を持ち、調べ、何かを達成していく能力の育成のために、何が役に立つかを、考えるようになりました。

(補足)
■6学科が集まった新座総合技術高校
工業学科だけの狭山工業高校(機械科、電気科、電子機械科)と異なり、新座総合技術高校には6つの専門学科(電子機械科、情報技術科、工業デザイン科(当時),服飾デザイン科、食物調理科), 商業科(当時))がありました。
全校の半数以上が女子生徒で、華やかなデザイン系の学科と、少し根暗の情報技術科の生徒の質はかなり異なります。
「生徒を見るとどの学科の生徒か言える。」と言われるほど、6学科の生徒には特徴がありました。
わたしが1年目に担任したクラスには、情報技術科と服飾デザイン科、商業科の3学科の生徒がいました(ミックスホームルームと呼んでいます)。専門の授業時間になると、生徒は各学科に分かれます。
現在でも、新座総合高校の1年生のクラスは、全ての学科の生徒が混在するミックスホームルームになっています。
埼玉全域から集まる生徒たちは、入学後の1年目に新しい友人を作り、それは2年生以降に学科毎に分かれても続きます。

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