BodyChanceのプロコースで教えるアレクサンダー・テクニーク教師ヤスヒロ(石田 康裕)のページです。テクニークの歴史や役立ち情報など多くを載せています。教育分野(学校の先生など)での応用にも力を入れています。ヤスヒロは、埼玉・東京でのレッスン、出張レッスンを行っています。機械工学修士で27年間、高校で教えました。

MSIパートⅠ第2章「未熟な対処法とその欠点」

  • HOME »
  • MSIパートⅠ第2章「未熟な対処法とその欠点」

2.未熟な対処法とその欠点  (抜粋)

...

そう考えるなら、次のように言うことは簡単です。すなわち、人が筋肉を鍛えるための機械的トレーニングを考え出して、例えば1日に1時間、2時間、3時間と運動すれば、それらは身体が本来持つ機能を回復して___できる、と主張できるのです。しかしこの主張を論理的に考えると、その誤りは明白で、下線の部分に何を入れるにしても、それは達成できません。この主張に基づく方法は、身体に内戦状態 [civil war] を引き起こします。そこに協調がないので、結果は争いにならざるを得ないのです。とても典型的と言える1つの事例を考えることで――実例ではなく想像上のものです――、この点はすぐにはっきりするでしょう。

ジョン・ドォーを取り上げますが、彼は午前9時から午後6時まで室内で仕事をしていて、それはとても頭を使い神経をすり減らすものです。35歳になるまでに――それよりも5~10年ほど早く起こることもあります――、ジョン・ドォーは、貧血、消化不良、神経衰弱、無気力、不眠症、心臓の弱さ、や他の障害に苦しみます。彼の身体機能は乱れ、筋肉系は一部が委縮し無反応になっていて、神経は高ぶり、全体の状態は不安定 [jumpy] です。

さらにいえば、彼は多くのことに知性を使っていないし、毎日の生活の身体活動に対して彼は悪い心的態度 [bad mental attitude] を取っています。身体は彼の機械装置といえますが、彼はその複雑な働きを調べようとせずに、それまでの経験の中で得た方法だけで動かそうとします。そしてこの機械装置が故障すると、強壮剤や興奮剤、あるいは「休息」で、力をつけてから頑張らせる、という昔ながらの方法を行います。

しかしながら、対処を引き延ばしてきたジョン・ドォーも、ついに「身体―トレーニング」を行うことにします。彼は忙しかったので、運動には朝と夕方のそれぞれ1~2時間を使うことしかできません。それでも最初のうちは、素晴らしい効果を感じた、と彼は言うでしょうし、ロンドンで出会う友人の誰に対してもそれを勧めるでしょう。その運動がドォーに効果があることを、私は認めたいと思うし、それを続ければ、彼が最初に陥った神経の衰弱状態には戻りようがないことも認めます。しかしながら、ここで明確にしておきたいのは、彼の改善の中にそれを持続させる要素が無いことです。彼の身体の組織体に一時しのぎの下手な修理を行った、ということでしかありません。ドォーは2つの生活様式を作ろうとしているのですが、その2つはその特性からいって、調和して働くことができないからです。彼は、自分の機械装置をどう運転しているかを少しも考えずに、1日に2~4時間かけて筋肉系を機械的に発達させます――そのときには、血液の供給を増やすために、肺の力を強くして酸素供給を増やす必要があります。簡単に言うと、原始時代の昼間の大部分の時間で、食べ物を得るために必要だった機能とエネルギーを強化するのです。しかし、残りの12時間ほどは、仕事をしたり、食事をしたり、本を読んだり、室内遊戯を行ったり、などで座って費やすので、新しく発達させた力を無視して、前の神経エネルギーとコントロール中枢を使います。ジョン・ドォーの身体は、眠っているときの自然な状態を除いて、2つの生き方をすることになります。一つは、とても活動的で筋肉を使う動的なもの、もう一つは、座ることが多く神経を使う静的なもの、です。

これら2つの生き方は、関連性がなく対立しています [antagonistic]。互いに支えあうことなく、衝突します。ジョン・ドォーの身体に内戦が起こり、心臓と肺と他の半自動的に働く器官 [semi-automatic organs] は、絶え間ない戦いの中でどちらかの支援に呼び出されるため、絶えず再調整を行います。そのような状態は、長い目でみれば、全体としての人の改善に役立つことはありません。

後に示すように 、ジョン・ドォーや似たような事例で、筋肉メカニズムを使うことへの意識は変わっていません。たとえトレーニングを1日に6時間行うとしても、いつもの仕事を行えば、その仕事の筋肉習慣にすぐに戻ります。なぜならドォーは、毎日の生活の活動に筋肉メカニズムを使うことに、間違った心的態度 を取っていることは明らかだからです。彼は、その作業に使うことを意図されていない筋肉群を使ってきたし、継続的に使い続けるべき筋肉群は、発達せずに不活発なままで、うまくコントロールされてもいません。彼は身体の使い方について、心身的な幻想 [mental and physical delusions] に苦しんでいると言えます。筋肉系の本当の使い方と機能について、彼が気づいていない多くの中から1つを挙げます。彼が頭を前方に押し出したり、後ろに持っていこうとするとき、どちらも肩が一緒に動いてしまうのですが、この肩の動きは意識されたものではないし、動いているとは、少しも認識されていません。心身がその幻想状態になっていると、身体運動を行って健康を取り戻そうとするときに、その不幸な人は自分ではコントロールできないそれらのメカニズムをその運動に使うのです。

ジョン・ドォーが最初に「身体-トレーニング」の運動を行うとき、最初は効果があることを私は認めているので、なぜその効果が持続しないかを示すことにします。彼が消化器系の障害の深刻さを認識したときに、それは症状だけで、その障害の主原因には気づいていません。正しく調べれば、起きているときも眠っているときも、胸郭内部の大きさ [intra-thoracic capacity] を最小にする悪い習慣を、彼が持っていることを明らかにすることでしょう。それが減るだけでも害がある上に、生命活動の器官 [vital organs] は正しく機能できなくなります。

胸郭内部の大きさがそう小さくなると、どうなるのでしょう? 胸腔には多くの生命活動の器官があるので、腹部の臓器の全てが直接または間接にその影響を受けます。胸郭内部の大きさが小さくなることで胸部の内部が圧迫されて、心臓に力がかかるし、肺は十分な空気が入らずに、肺の組織 [lung tissue] が衰弱するのです。血液は、内臓部分 [splanchnic area] に停滞するために、全体の配分状態が悪くなり、肺への供給が減ります。また血液の供給は主に肺が行うので、胸腔が小さくなると、その循環や栄養摂取全体が悪くなります。またそのときは、息を吸い込む [suck in air] ことで呼吸していますが、本来は協調的に胸部が広がることで、肺の中に部分的な真空を作り、そこに大気圧が作用するようにすべきです。また、腹部内部に異常な圧力が生じていることで、腹部の筋肉を有害なほど弛緩させています。それが内臓を下垂させ、肝臓、腎臓、膀胱などの機能を損ない、腸内の停滞、結腸と大腸等の炎症と膨張 [irritation and distension] をもたらします。言い換えれば、消化不良、便秘、そして、それに伴う疾患や全体的な障害が、生命活動の機能に起こるのです。胸腔と腹腔が、かなり硬い楕円形のゴムの袋でできている、と想像してみて下さい。その中に互いに関連しながら動いている機械類があり、それぞれが袋の内側のどこかの位置に取り付けられています。このバッグの上半分の内周の長さが、下半分より7センチほど長くなっている、と考えてみましょう。それが維持されている限り、機械は最高の効率で働きます。次に、上半分のバッグを小さくしながら下半分のバッグを大きくして、その内周が上半分より7センチ長くなることを、想像します。それがどう生命活動の器官に作用するかは、すぐに分ります。全体に秩序がなくなり、異常な圧力による炎症が起こり、血液やリンパ、器官内の消化と排泄の流動物、の自然な動きが妨げられます。滞留 [stag- nation] と発酵(腐敗)状態になり、身体という心身的な組織体の働きを妨げる毒を作り出し、ゆっくりとその毒が回って行くのです。

さて、ジョン・ドォーの体験にもどりましょう。すでに述べたように、消化器系の障害への対処法として、家やジムで身体運動を最初に行ったときに、彼はその障害が減ったと感じました。生活で座ることが多かったことを考えれば、これは自然なことです。ではなぜ、そのような感じが徐々になくなり、その対処法が失敗だった、と彼が思うようになったのでしょうか? このことは興味ある点です。座ることが多い人たちは、何かの運動を少しでも行えば障害が減ったと感じます。しかし残念ながら、とても多くの場合でそれは、正しい変化が起きていると誇張して抱いた幻想で、本当の良い変化を示しているわけではありません。この問題を考える人たちは、その人たちの運動感覚系が狂っていて [debauched kinaesthetic systems]、さまざまな感覚や感じの質を間違って考えていることと、そう間違った感覚になっている人は、改善を正しく判断できない、ことを知っています。さらに私たちは、ドォーがすぐに認めるように、その改善が長続きしないことを知っています。その論理的な理由を説明しますが。その前にもう一度、彼が身体運動を行った当初は、多くの点で良い効果があったことを認めておきます。それがどんなに良いものでも、その身体運動を続けると、それによる障害が大きくなり、最初の効果を相殺するし、ついには障害の方が大きくなることを、私は言いたのです。

次に述べることは、この主張の根拠のいくつかです。後の章でこれらをより詳細に扱います。

1. 運動感覚系に障害があること

トレーニングを始めたときに、彼の運動感覚系にも障害が起きていました。

身体運動を単に行うだけでは、毎日の生活の人の心身的な組織体の使い方に、新しくて正しい運動感覚を持てるようにはなりません。

2. 間違った考えを持っていること

間違った考え [erroneous precoceiv- ed ideas] で「身体-トレーニング」の運動を毎日行うことで起きる障害は、さまざまで書き出すことができないほどなので、それを書こうとすれば厚い本になるでしょう。それは本当だと私は読者に断言できるし、日々、最も疑り深い人たちに実際に示して納得させています。

3. 感覚を間違って捉えることと幻想

この重大な障害は、間違った考えと結びついて心身的な幻想に陥らせますが、それはとても広範囲に見られて危険です。

  再教育を受ける前に、肩を後ろに持って行こうとすると、いつも頭を後ろに持っていく癖を持つ人、を取り上げます。この人に、肩を動かさないようにしながら頭を前に持ってくるように、と言うと、多くは指示を実行できずに肩も動かしてしまいます。先生が肩を押さえながら、頭を前に持ってくるように言えば、頭を前に動かすことができずに後ろに行かせます。

4. 心身のコントロールに欠陥があること [Defective Mental and Physical control]  

教えているときにとても良く見るコントロールの障害は、先生が生徒の頭や手、腕、脚、を動かして、それらの適切な使い方の新しくて正しい感覚 [sensation] を与えようとするときに起こります。私の経験からは、大多数の人たちは、この体験を早く得るために自分をコントロールする力を全く持ちません。

例を挙げます。先生が生徒に、「腕を挙げるように。」と言うと、その人は必要以上の緊張を使って腕を持ち上げようとします。必要な緊張がどの程度かが分る新しい運動感覚を生徒に与えるために、次に先生は、「私が腕を持ち上げることを許すように。」と言います。するとほとんどの人は、自分でその動作を行うように言われたときと同じように行うのです。

5. インヒビション(抑制)に欠陥があること

先生はほぼすべての生徒に、インヒビションの力が無いことが、多かれ少なかれ妨げになっていることを見つけます。それがあれば、生徒はかなり容易に再教育を受けて協調的になれるのです。考えてみれば、私たちの普通の生活や一般的な教育方法は、そのインヒビションの力の発達に役立ちません。それどころか、インヒビションの力はむしろ弱くなっているのです。見ようとする人は、その深刻な結果が至る所に表れていることを、観察できます。

6. 自己催眠 [self-hypnotism]

とても重大でとても良く見られるこの自己催眠の害悪には、効果のある対処がなされていません。リラクセーションと同じように、このことが話題になり提案が行われていますが、それらを毎日の生活で使っても、良い結果を生んでいません。私が「自己催眠」と言っているのは、先生と生徒がレッスン中と、しばしばその両方が毎日の生活の中で、気づかずに行うものを指しています。

「眼を閉じることでより良く考えることができる。」と多くの人が言うでしょうが、これはとても拡がっている自己催眠で自己欺瞞 [self-deception] です。それが特に深刻な問題なのは、有害な状態を自分で意識的に作り出そうとするからで、普通に夢見る人は、無意識にその状態になります。

7. 心配癖 [apprehension] を作ってしまうこと

これはおそらく私たちが作り上げる最も深刻なものです。パートⅡの第5章で詳細に取り上げます。

8. 偏見を持った議論を行い、自己防衛を行うこと

人の弱さと浅薄さを示すこの特性は、私たちの知的プライドを傷つけます。とても悲しいことに、並外れた知性と誰もが認める人ほど、これが強いという事実もあるのです。そのような人たちが議論に勝とうとして、自分の望むように事実を変えて話すことを、誰もが知っています。彼らの論理性は感情と感覚認識(感じの質)[emotion and sense appreciation (feeling-tone)] に支配されているのですから、論理に訴えかけても、最初は無駄に終わります。大多数の人がそうなっているのですから、教育して伸ばすときの教育方法として、子供の感情と感覚認識(感じの質)を使って自分をガイドしてコントロールさせるやり方は、やめなくてはいけません。

ここ数年で、熱心に考えようとする人たちの知性が、ここにまとめた障害を認識するようになったので、トレーニング方法に明確な改善が見られます。乱暴に筋肉を働かせることは少なくなり、それほど暴力的でない身体活動を、行うようになっているからです。「身体—トレーニング」の提唱者は、2、3年前はダンベルを使うように主張して、あるときはダンベルの重さを徐々に増やすように、と言っていたのに、穏やかな運動の必要性を強調するようになりました――ダンベルのことさえ言わなくなっています。これはおそらく、私の主張が真実だという良い証拠でしょう。

「リラクセーション」という次の例は、もっと役に立ちません。リラクセーションでは普通、座っていたり床に横になっている人に、リラックスするように――すなわちリラックスについての彼らの理解で行うように――、と指示します。しかしそうすると、いつも脱力状態 [collapse] を作ってしまうのです。リラクセーションが本当に意味することは、自然 [nature] が「いつもいくらか緊張しているように」と意図した筋肉系が適切な緊張状態になり、自然が「いくらかリラッスしているように」と意図した部分がリラックスしていることです。これは、私の別の著書で、「メカニカル・アドバンテージのある姿勢 [the position of the mechanical advantage] [3]」と呼んだ姿勢を取ることで、容易に得ることができます。さまざまな筋肉の自然で正しい状態についての理解が間違っていることは別にしても、リラクセーションの理論は、休息療法と同じく間違った考えをしているので、どちらの方法も続けると身体全体の活力が低下します。それは通常の仕事に戻るとすぐに感じられるし、まもなく前の障害がより大きくなって現れます。

...


PAGETOP
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.