BodyChanceのプロコースで教えるアレクサンダー・テクニーク教師ヤスヒロ(石田 康裕)のページです。テクニークの歴史や役立ち情報など多くを載せています。教育分野(学校の先生など)での応用にも力を入れています。ヤスヒロは、埼玉・東京でのレッスン、出張レッスンを行っています。機械工学修士で27年間、高校で教えました。

先生のためのアレクサンダー・テクニーク

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【先生のためのアレクサンダーテクニーク00】
「自己紹介」

私は5年間を民間企業で務めた後に、教員になりました。工業系の修士課程を出ていたのですが、会社で働く中で、自分の将来がとても限定的なものに思えたことからの転職でした。それまで、いろいろな可能性があると思っていたのに、会社に入って、課長、部長クラスの人たちを見たときに、何かが違うことを感じました。自分が求めているものが明確なわけではないけれども、それはこの場所ではないことがはっきりしたとき、会社をやめることにしました。

リーダーシップを取ってきた経験がそれほどあるわけでなく、教員としての適性があるとも思っていなかったのですが、それしかないという気もちの中での決断はそれほど難しいものではありませんでした。

教員になると、大抵の先生たちが味わう一連の経験をしました。それほど生徒の質が悪いわけではなかったのですが、授業を成立させることの大変さ、生徒から信頼を得ることの難しさなどです。

教員生活も10年を超えるうちに、少しずつ自分なりの方法を身に着けて、情報教育関係の発表を行ったり、教科書を書いたりしていました。河合隼雄、斎藤喜博などに興味を持ち、特にシュタイナー(教育)は、かなり長期に渡って関心を持ち続け、今でも50冊以上の本を持っています。2001年から3年間は、日本式の工業高校を作るという国際協力のプロジェクトのためトルコに派遣されました。退職までの4年間は、教務主任を務めています。

尊敬すべき先生たちと比べて、自分は熱心な教員だったとは思っていません。常に自分のことが頭の中にあったからで、寸暇を惜しんで生徒の相手をするという教員ではなかったからです。わたしの頭の中には、常に自分の成長が充分でないという思いがありました。その中で、学生時代に読んでいて、今でも影響を強く受けている神谷美恵子さんの著作の影響は大きいものでした。

振り返ると、人付き合いのうまくない私にとって、教員であったことは本当に意味深いもので、今の自分に至る準備として不可欠なものだと感じています。そしてその後、2004年の年末に出会ったアレクサンダーテクニークはまた画期的なものでした。

■アレクサンダーテクニーク
アレクサンダーテクニークは、精神世界的なものでなく、具体的で、眼に見えるものでした。興味深い所は、他の人の変化が眼には見えるのですが、なぜそうなっているのかが全く分からないという点でした。まるで魔法のようにしか見えません。それは、本では学ぶことができない別の世界を感じさせてくれました。その世界を知らずに、生活を送ることは、大きな悔いの残ることとなります。それはもちろん、「教育」の質についても、変えてくれる可能性を大いに秘めていました。それ以来、アレクサンダーテクニークに魅せられ、その夢は冷めていません。

■ 自分が変わる
文科省の言う「生きる力」については誰もが手探りです。わたしは自分の弱さを認識しているのに、自分に「生きる力」がでてくることを感じられませんでした。会社に勤めていたときに、自分の役割を認識していても、そこに自分自身のエネルギー感を持てなかったことと同じです。自分の問題は続いているのです。

テクニークを学んで4年ほどたった頃、当時来日されていて、毎年教えてもらっていたスイスのローザ先生から、「見るたびごとに、プレゼンス(存在感)が上がってきている。」と言われました。自分でも、ストレス耐性が上がってきていると感じてはいたのですが、外からも異なって見えると評価されたことについてとても嬉しく思いました。生徒との関係も、明らかに良くなってきていて、「知識・技術」を題材として教えてはいても、生きるエネルギーを伝えることが、含まれてきていることを少しずつ感じられるようになってきていたのです。

 

【先生のためのアレクサンダーテクニーク01】
「嫌われていると感じるとき」

ストレスの中でも最も大きいものは、人に嫌われていると感じるときのものです。先生としては、毎日の生活で相手をする生徒から嫌われていると感じるときのストレスはとてもこたえます。保護者会や三者面談で、父兄からも、能力がないと思われたり、嫌われていると感じるときもあります。それに対する感情の重さを、何日も、何週間も引きずることになります。

そのようなときに、どのようなことが起こりますか。
・自分の能力がないことを感じて、まず悲観する。
・相手のことを批判する。
・同僚に話して、自分の気分を落ち着かせる。
・教育関係や心理関係の書籍やセミナーで学び、それを使おうとする。
などでしょうか。

「自分を批判する」ということはとても良く起こります。そうするときは必ず身体を縮めて首を縮めているのですが、そのようなことを普通は分かるはずもありません。自分のそのような緊張が、悲観的な思考を作り出すことに気づくにはアレクサンダーテクニークを学んでも時間がかかるからです。

「こうしなくてはいけない」、「こうありたい」という思いが交錯することでしょう。そのようなときに、アレクサンダーテクニークでは、「自分が何よりも大切である。」と教えます。自分を失って、相手の役に立っても、本当はどちらの利益にもならないということです。自分の能力を向上させたいという思いを失ってはいけませんが、人はその時点でできることしかできません。無理をせずに自分のそのときの力を最大限発揮することを考えましょう。

そうするために、アレクサンダーテクニークは、とても単純なことを提案します。悲観的になりがちがちな自分に対して、それがどうどうめぐりになっていることに気づいたならば

「頭が繊細に動いて、身体全体がついていく」 と自分に指示するのです。
(この指示の内容は、先生によって異なることでしょう。自分が気に入ったものを使ってください。これをどう使うかも、少し練習が必要です。)

このときの指示の言葉が何であれ、共通なことは、それが目の前の問題に自分の身体と心が取り憑かれてしまうことを防いでくれることです。とても単純ですが「自分を大切に」するための一つの手段です。思い出してください、今までは「頭」を考えるなどとはせずに、直接的に、問題ばかり考えてしまっていたのですから。

アレクサンダーテクニークを実践するときに、誰もが陥ってしまう罠は、これが余りにも単純であるために、すぐにそれを考えることをやめて、違うこと頭が向いてしまうことです。そして、いろいろな理由でとてもやれないと感じてしまいます。生徒や保護者と深刻な話し合いをしているときに、「自分の頭」のことを考えるなどは不謹慎だとも思ってしまうこともあるでしょう。

だから、これは他の方法がうまくいかなかったとき最後にたどりつく手段なのです。人の神経システムの不思議な特性に基づいていて、アレクサンダーの天才がそれを発見しました。他の直接的な手段では、達成できないと理解したときに初めて、テクニークに本気で取り組む気になります。

自分の実際の経験の中で、こうすることの価値を一度でも実感できたら、第一歩が踏み出せたことになります。普通は最初それはアレクサンダーテクニークの先生の助けが必要かもしれません。

自分が何かについて改善したいのに、どうしても良くならないという体験はスタートになります。それは生徒の改善かもしれないし、自分自身に問題と思う個別なこと、または全体的な改善かもしれません。

ボディチャンスの教育ディレクターという立場でいえば、このような実際の状況のなかで、具体的な目標を持ってアレクサンダーテクニーク(アレクサンダーの発見)を使うことを学ぶことをボディチャンスメソッドと呼んでいます。

 

 

 

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