海外から取り寄せていたシュライプの本「FASCIAL FITNESS(ファシア フィットネス)」が一昨日届きました。
イギリスからなのに、裏表紙の一部が破れていて、海外品質の雑さが伺えます。しかし、この本は興味深く、とても良い図も幾つかあったので、今回のレクチャーで準備していた図も差し替えようとしているところです。

「FASACIAL FITNESS」から

この本が興味深いのは、ファシア研究の第一人者で、インター・ナショナル・コングレスの中心人物のシュライプが書いていることです。
この200頁ほどの本は、前半が理論的な概要、後半が具体的なエクササイズ(フィットネスとして)などを記しています。
エクササイズを効果的に行うためにはファシアのことを良く知ることが必要だ、というシュライプの主張は、彼が研究者だけに説得力があります(だれもが行う日常的な動きについて、それを行なうシンキングがその質を変える、と知っているアレクサンダー・テクニークからすれば当然ですが)。
シュライプは、研究者になる前は、ロルファーで、フェルデンクライス・プラクティショナーだったという興味深い人です(ロルファーになる前は、ラジニーシなどについて精神的探究を行ったそうです。彼は、Webinarでは、「悟り」は得られなかったと言っていました)。

(1)「ファシア」についての観点の変化

この本の「序文」に、彼はこう書いています。
「今までのファシアの知識の多くを、書き変える必要がでてきました。例えば、強い筋肉トレーニングによって後から起こる筋肉の痛みは、主に筋肉よりも、筋肉の周りのファシアで起きています。腰痛は、椎骨や椎間板の衰えではなく、ファシアが原因です。スポーツでのけがは、筋肉よりもファシアを構成する要素の損傷です。最近ではファシアは、最も重要な感覚器官の一つだとみなされるようになりました。結合組織は、脳に信号を送っているのです。全ての身体の動きは、ファシアにあるセンサによりその質が決まり、それが狂うと、身体は、コントロールする力を失います。」

(2)「ファシア」の4つの基本的役割

彼は、この本の中で、ファシアの役割を基本的に次の4つに分けています。

(1)形を作る
   身体全体や、その部分を包み込み、守っている。
   その部分を支え、その形を保つようにしている。
   (わたしたちの容姿の違いは、ファシアが決めています。)

(2)動きを作る
   ファシアは、身体を引張り、筋肉の力を伝達したり、パワーを蓄えたりする。
   身体全体のトーン(張り)を作り出し、伸縮(ストレッチ)に関わる。
   (ある動きに、筋肉だけを考えると、大きな力を作れないし、繊細なコントロールもできません)
    ファシアの主要素であるコラーゲン線維は、鉄よりも強いそうです。

(3)コミュニケーション
   刺激と情報を受け取り、それを他に伝える。
   (ファシアのどこかを固着させて、信号の伝達を止めると、わたしたちは協調的に動けなくなります)

(4)供給
    ファシア(結合組織とほぼ同じ)は、身体のさまざまな器官を囲み、皮膚の直下にあり、細胞代謝を助けるし、リンパ管、血管、神経が通っていて、水や栄養の交換を行い、多くの免疫細胞もあります。

池袋レクチャー

この本の特に前半部分も踏まえた内容の、「池袋レクチャー」を8月22日に行います。
残りが3席になりましたので、参加を希望される方は、早めにお申し込みください。

【雑記】

今回ファシアのレクチャーの準備をしながら、昔のことがフラッシュバックしたので、雑記として書いておきます。
よろしければ、「たわごと」として読んで下さい。

今まで行ったアレクサンダーのレクチャーは、主にヒストリーだったので、事実を時間の流れに対して整理を行いました。
今回のファシアは、全体を整理しなおして、ストーリーを作るという作業です。
この作業を行いながら、27年間の教員時代は、ずっとこれをやってきていたことを思い出しました。

教科書をメインに使わない授業を行っていたので、工業関係の20科目ほどの授業を作りました。
(学習指導要領に則って授業を行う、という文科省の方針には反しています。しかし、少し実情を話すと、一時期の学習指導要領の「工業」の項の「データベース」については、わたしが書いた文が載っていました。)
 それらをもとにして、トルコで行った3年間の途上国援助では、自由に4冊の教科書を書いたし、工業高校用の「情報技術科」に関する教科書の4冊の執筆にも参加しました。それは、そこそこ楽しいものでした。

ところが、普通教科、「情報」の教科書作成に参加したときには、そうではありませんでした。
必要事項を書き出して、それを並べて章立てをしていく方法を、厳密に押し付けてくるのです。
それは、ストーリーにはなりません。
一見系統立っているように見えても、学ぼうとする意欲が持てなくなると、わたしは思っています。
資格試験や入試のように、動機が他で得られるようなものはそれでも良いのですが、科目自体を学ぶ面白さを失わせます。

だから、シュタイナー教育のように、試験で成績をつけずに、個人個人の異なる感性が、どう伸びるかを見る教育に教員時代は惹かれました。
しかし、わたしが受けた教育は、余りにもそれと違っていたので、とても自分がそれを教えることができる、とは思えませんでした。
アレクサンダー・テクニークを学んで、今の感性を持てるようになって、ようやくその教育ができそうな力がついたと感じます。

ファシアのレクチャー準備に戻ります。
今回のファシアもできるだけ、ストーリーと、説明の一貫性を念頭に考えています。
(これは、全く教科書が無かった、ネットワーク(週3時間)とデータベース(週4時間)の1年間の授業を作ったときに似ています。それらでは、準備として、国家試験を受験して、最初に全貌を掴みました。データベースの国家試験は、3回も落ちたことが苦い思いです)。

ただストーリーは、誰もが興味深く思う、とは限りません。
参加者の顔を思い浮かべながら、できるだけ合うようにと、前日まで考え続けたいと思います。