私家版して「エリカとペギー、ハンターによる第一世代教師」という訳本の紹介ですが、今回は
パートⅠ のエリカ・ウィタカーの内容です。

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エリカ・ウィタカー(結婚前の姓はシューマン)は、おばのエセル・ウェッブから最初のアレクサンダー・テクニークのレッスンを8歳のときにイギリスで受けました。
その後オーストリアで暮らしましたが、母親の死後、1928年にロンドンのエセルのもとに行き、アレクサンダーとのレッスンを17歳で始めています。

その後アイリーニ・タスカーが始めたリトル・スクールの指導を手伝い、19歳のときに、最初の教師トレーニング・コースが始まると同時にトレーニーになりました。
コースの終了後、第二次世界大戦が始まる(1939年)ころまで、アレクサンダーの監督のもとでアシュリ・プレイスなどで教えています。
1944年に結婚し、その後は教えることをやめて、離婚も経験しました。

1971年(60歳)からは、オーストラリアのメルボルン大学で古代中東の比較宗教学とアラビア語、サンスクリット語を学び、中国の古典や哲学にも関心を持ちました。
1984年(73歳)に再び、アレクサンダー・テクニークをメルボルンで教え始めています。

 1985年(74歳)に、毎年行われているアレクサンダー・メモリアル・レクチャー(ロンドン)で「私の覚えているF.M.」という題目で講演を行い、始まったばかりの教師養成コースでは何が求められていたか、などを話しました。

また1988年のブライトン(イギリス)での第2回インターナショナル・コングレスでは、マージョリー・バーストーの推薦により基調講演を行い、当時の教師養成のやり方に警告を行っています。

長い間、オーストラリアで住んだ後に、イギリスに戻り、93歳で亡くなりました。

ここには4つを載せました。

1.アレクサンダー・メモリアル・レクチャー1985年10月26日

2.ブライトン・コングレス基調講演  1988年8月

3.ジョン・ハンターのWebページ
  エリカ・ウィタカーについて
  ブログ(Nio.1~No.14)
  エリカとミス・ゴールディと

4.インタビュー(1998年12月29日)
「Taking Time」より