私家版して「エリカとペギー、ハンターによる第一世代教師」という訳本を作ったので、紹介させて頂きます。
本に興味を持った方は、info@yasuhiro.alex.jp までご連絡下さい。

この本は次の3部構成になっています。
パートⅠ  エリカ・ウィタカー
パートⅡ  ペギー・ウィリアムズ
パートⅢ  ジョン・ハンターのWebページ

今回はこの本から「はじめに」の部分を転記します。

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この本により、F.M.アレクサンダー(1869-1955)が教師養成コースで実際にどう教えていたかを、一般に考えらえれているものと違った角度から知ることができます。
F.M.アレクサンダーは1931年、彼が62歳のときにようやく重い腰を上げて、教師養成コースを始めました。
コースは3年制ですが、それより長くかかった人もいます。平日の月曜から金曜まで毎日、アレクサンダーによるクラスが2時間ほどあり、他の時間はトレーニーはその練習をして過ごしました。

パートⅠのエリカ・ウィタカー(1911-2004)は、教師養成コースの第1期生で、パートⅡのペギー・ウィリアムズ(1916-2003)は、F.M.アレクサダー自身が教師養成コースで教えた最後の時期に学びました(修了証書にF.M.アレクサンダーの署名がある最後のトレーニーです)。
二人にはほぼ接点がないのですが、F.M.アレクサンダーの最初のトレーニーのエリカと、最後のトレーニーのペギーについて見ることで、20年ほどの間の教え方の違いを見ることができます。

その大きな違いの一つは、エリカの頃はアレクサンダーがかなり言葉による説明を行っていたのに、ペギーの頃にはそれがほとんどなくなったことです。
それを当時のトレーニーがどのように受け取っていたかを、ペギーについて読むことで垣間見ることができます。

エリカ・ウィタカーは、トレーニングを修了して教え始めた後で、教えることをやめていた長い期間があり、独自の道を進みました。
その後で、1980年代に再び教え始めてアレクサンダー界に復帰したときに、当時主流の教師養成コースで教えている内容が、彼女が教わったものとはとても異なっていることに危機感を抱きました。
彼女がアレクサンダーから教わって重要だと考えていたものを、トレーニーたちが教わっていない、と感じたのです。
そのことをSTATメモリアル・レクチャーとブライトンでの第2回コンブレスの基調講演で、彼女は訴えかけています。

ペギー・ウィリアムズは養成コース修了後にキャリントンの学校の先生として長年活動したので、キャリントンに近いのですが、自身がとても独特な学び方をしています。
トレーニー時代にアレクサンダーからのチェア・ワークを主体にした指導を受けました――アレクサンダーのチェア・ワークは決して単調なものでなく、深い内容があったことが彼女の話しから読み取れます。
学びの転機が「静かでいること(動きを起こさないでいること) [still]」で「自分を放っておくこと」ができるようになったことだったのは、とても興味深いことです。
(マーガレット・ゴールディと似ているように感じますが、ゴールディは「quiet」という言葉を使いました。ペギーの「still」は、それと比べて「動きを起こさない」というニュアンスがあります。)
ペギーはハンズ・オンが強力だったことで有名でした。
また、テーブル・ワークも多く行っていて、この本の彼女の話からそれが何を目的としているかを知ることができます。

パートⅢのジョン・ハンターは、第二世代教師です。
(F.M.アレクサンダーから直接トレーニングを受けた人たちを第一世代教師と呼び、彼らに教わった人たちは第二世代教師です。)
1980年代の始めにマクドナルド派のミーシャ・マギドフの教師養成コースを修了しました。
エリカ・ウィタカーとマーガレット・ゴールディを始めとする多くの第一世代教師と交流を持ち、レッスンを受けました。
彼のWebページから、第一世代教師に関連したページなどを訳しました(ハンターのエリカに関係するブログはパートⅠに、ペギーに関係するものはパートⅡに、マーガレット・ゴールディの関係は「ゴールディのアレクサンダー・テクニークの教え方」の本に載せています)。
大御所(上記の2人の他に、バーロー夫妻、マクドナルド、マージョリー・バーストー)と呼べる教師たちからの彼の詳しいレッスンの記録は、彼らの教え方を具体的に伝えてくれるものとして貴重です。
また「1931年の最初のトレーニング・コース」の投稿を読むことで、アレクサンダー・テクニークを学ぶとはどういうことか、の考えが変わることでしょう。