BodyChanceのプロコースで教えるアレクサンダー・テクニーク教師ヤスヒロ(石田 康裕)のページです。テクニークの歴史や役立ち情報など多くを載せています。教育分野(学校の先生など)での応用にも力を入れています。ヤスヒロは、埼玉・東京でのレッスン、出張レッスンを行っています。機械工学修士で27年間、高校で教えました。
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アレクサンダー・ヒストリー

恩師スパイサー医師に対するアレクサンダーの反論

スバイサー医師は、アレクサンダーが1904年にロンドンに渡ってすぐに、彼のワークを認め支援してくれた人です。彼は喉の専門家で、アレクサンダーがその頃売りにしていた「呼吸」は彼の専門分野でしたし、その分野で有力者でした ス …

池袋レクチャー1回目「アレクサンダーの生涯とその教え方の変遷(前半)」

11月10日(先週土曜日)に、初めての池袋レクチャーを行いました。 13名の参加者の皆さんありがとうございました。 「前半」と銘打って予定していたのですが、準備をしているうちに分量が多くなり過ぎたので、2回ではなく、3回 …

最初は「呼吸の人」として売り出したアレクサンダー

1904年に35歳でロンドンに渡ったアレクサンダーですが、その前後は自分のメソッドを「フル・チェスト・ブリージング・メソッド(胸全体を使った呼吸法)」として宣伝しました.。 当時流行っていたいろいろな呼吸法と比べて、それ …

アレクサンダーの8年に渡る事務員生活

アレクサンダーは朗誦家としてのキャリアを、すぐに始めたわけではありませんでした。 15歳から一年半は、育ったタスマニア島の町ワインヤードの学校で補助教員を務めました。 この経験が、彼が後に著書に教育について書くときのバッ …

アレクサンダーは初期の頃に何を教えたか

アレクサンダーが彼のテクニークを教え始めたのは、24歳だと言われています。 とても若かったのです。 しかも、彼は20歳で大都市メルボルンに出るまでは、タスマニア島で事務系の仕事をしていました。 4年間という短期間のうちに …

マージョリー・バーローの「アレクサンダー・メモリアルレクチャー」

マージョリー・バーローは、アレクサンダー・メモリアルレクチャーで、2回話しをしています。 1回目は、1965年で、F.M.アレクサンダーの死後10年目。マージョリー・バーローは50歳でした。 2回目は、その30年後の19 …

アレクサンダーのプロシージャを知る「シンク モア、ドゥ レス」

今回は、ショーン・キャリーの著書「シンク モア・ドゥ レス(Think More Do Less)考えを多くして、やることを少なくする)」の紹介です。 この本は、2017年と、まだ出版されたばかりの本で、hite社から出 …

アレクサンダー晩年のレッスンがわかるビンクリーの「Expanding Self」4

ゴッダード・ビンクリーの「Expanding Self(拡がる自分)」の内容を紹介しています。 今回は、彼が教師養成コースに入ってからの日記と、この本の中に書かれている、F.M.アレクサンダーに関するエピソードを取り上げ …

アレクサンダー晩年のレッスンがわかるビンクリーの「Expanding Self」3

ゴッダード・ビンクリーの「Expanding Self(拡がる自分)」の内容を紹介しています。 アレクサンダー・テクニークの原則 アレクサンダー・テクニークではときどき「原則」という言葉がでてきます。 前回のブログで紹介 …

アレクサンダー晩年のレッスンがわかるビンクリーの「Expanding Self」2

ゴッダード・ビンクリーの「Expanding Self(拡がる自分)」の内容を紹介しています。 ビンクリーのアレクサンダーとのレッスン頻度 ビンクリーは1951年の7月からレッスンを受け始めました。 1953年1月12日 …

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