ゴッダード・ビンクリーの「Expanding Self(拡がる自分)」の内容を紹介しています。

アレクサンダー・テクニークの原則

アレクサンダー・テクニークではときどき「原則」という言葉がでてきます。
前回のブログで紹介した内容でも、ビンクリーは「原則」と言っていました。

F.P.ジョーンズも、著書Freedom to Change]の中でアレクサンダーの弟のA.R.アレクサンダーの言葉
「忍耐強くすること。原則を守り続ければ、それは大きなカリフラワーのように開いて行く。」
を引用しています。

それではアレクサンダー・テクニークの「原則」とはなんでしょう。

ビンクリーが1953年3月24日の日記に書いていることで、アレクサンダーが何を原則と考えていたかを知ることができます。
「わたしは特に次の質問を聞きたいと思っていた。
『首を自由にしたり、頭が前と上に行くことを許したり、背中が長く広くなる...をするときに、わたしたちは、それらの変化を感じようとするいかなる試みもすべきではないのか。』ということだ。
アレクサンダーは次のように答えた。
『そう。ただそれだけだ。もし君が感じようとすれば、感じている感覚に頼ってしまい、それは君を前の習慣的なやり方に戻らせるだけだ。
わたしたちは、感じようとすると、前のやり方でやらざるを得なくなるんだ。
わたしたちは「何かをすること」には、向かわないと覚えておくべきだ。
前に言ったように、わたしたちは 「正しくしようとしてはいない」のだ。
このワーク全体の原則は「何かをしようとせずに、考えること」だ。
わたしたちは、考えだけによって、動きをもう一度方向づける。
この原則が、理解するのに最も困難なことだ。人は、ただ理解できないんだ。
でもわたしたちは、それがしっかり働くことを知っている。
実際に示すことができるんだ。』」

面白いことに、ビンクリーの日記には、「ノン・ドゥイング non-doing」は、アレクサンダーの言葉としては1回しかでてきません。アレクサンダーは、晩年は余り使わなかったのかもしれません。

レッスンの生き方への影響

ビンクリーは、レッスンを30歳を過ぎてから受けはじめましたが、それまでの彼の経歴が示しているように、いろいろと迷いのある人生を送って来ていました。
この日記では、レッスンを受けている間にも、生きることへの漠然として不安に関する記述があり、その解決をレッスンで受けた内容と関連付けて考えています。

たとえば、1951年11月14日に次の記述があります。
「この一週間わたしは落ち着かなかった。
知らない土地に行き、知らない人に会うために船に乗るのは、ロンドンの居心地の良いアパ―トに自分を閉じ込めているよりもましに思えた。
でもそのとき、アレクサンダーとの学びについて考えたら、その幻想が追い払われた。
まったくわたしは、自分に耐えられなくなっていた。
わたしは何かに向かって飛び込みたいと思い、 何かの連続的な活動の中に自分を置きたいと思った。
わたしは自分の頭の中に答えを探して、無駄に時間を使った。自信という感覚が失われてきて、意気消沈した。
...
でもこれは、わたしの自信という感覚を失っていることと、どう関係するのだろう?
世界の中で余りにも一人で居ると感じ始めると、人は自分に自信を失う、というだけのことだろう。
この感覚が、人を抑圧する。 このひどい世界に居させられていると感じる...」

多くの先生が、アレクサンダー・テクニークが、将来を思い煩うことなく、「今に生きる」こと、そのとき生きている瞬間、瞬間に生きることの手段になることを指摘しています。
ビンクリーもそれを感じていて、1952年1月12日にはこう書いています。
「今晩再び、自分についての確信と、絵を描くことを学びたいという願いが確かにあることを感じた。
そうだ! もし自分のムード(感情)をコントロールできれば、絵を描くことをうまく学べるといことの自信がある--すべてのムード、全てのマインドの状態、感情などが、不毛さや、克服できない障害、耐える能力のなさを際限なく告げていて、わたしを生きることから手を引かせようとさせていることに気づいた。...
生きるということは この瞬間に生きることではないように思わせる。
今から10年、20年、30年先のことは忘れろ。そんな日は決して来ないかもしれない。
だったらなぜ、先にある不確かな日のこと、不確かな未来のことを恐れて、今日を投げ出す必要があるだろうか?そう考えることは分別がない。
さらにそれは、ただアレクサンダーがエンド・ゲイニングで意味することのよくある例の一つじゃないか...」

ビンクリーの背中

アレクサンダー・テクニークでは、よく背中のことが出てきますが、ビンクリーは体格が良いからか、とても特別な背中を持っていたようです。
アレクサンダーは彼の背中についてたびたび言及していて、ビンクリーが日記に書いているだけでもこれだけあります。

1951年10月1日
「君はすばらしい背中を持っている。わたしがそうだったらと思うくらいだが、君がそれを使わないのはとても残念だ。」

1951年10月10日
「君の背中はとても力が出せる。自分の体重の20倍を、持ち上げることができるだろう。それを使わないのは罪だ。」

1951年11月2日
「何度も言ったように、君の背中はとても強い。だから自分を間違って使ってしまうと他の人より2倍悪影響が起こるんだ。」

1951年11月24日
「 君の背中は羨ましいよ。「どうかお願いだから [for God’s sake]」使ってくれ。」

1951年3月10日
「前に言ったように、君の背中はとても強くて力がある。間違った使い方をすると、他の人の2倍の悪影響が出て、2倍のダメージを受ける。君の背中は、適切に働かせれば、君位の大きさの人間を10人持ち上げるほどの力があるんだ。」

次回は、教師養成コース期間中の内容などを紹介します。

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