アレクサンダー・テクニークはとても深いので、学ぶ人が「その深さが果てしない」という予感を持てないと(予感でしかないのは、本当の深さはそこに達してないと分らないからです)、浅い理解に留まってしまいます。
理解が浅いだけでなく、問題はせっかく少し学んでも使わなくなってしまうか、使い続けてもそのレベルが低い所でとどまり続けることです(アレクサンダーが言う「意識的」という部分を自分の中に開発していかなければ、アレクサンダー・テクニークも他の同じように見えるものと変わりはありません。)
その深遠さは、これを「意識的」に使い続ける(これがどういうことか、をある程度マスタするには数年かかります)ことにより発見が起こり続けることで、現れます。
(ジョン・デューイは、アレクサンダーの著書「自分の使い方」への序文で「ある科学の発見が活力を持つかは、それが次の新しい試みを発案させて実行させる力をどれだけ持つかによって決まります...生徒の1人になって、この事実が自分の体験として示されたことで、アレクサンダー氏のワークが科学的な性格を持つことを、初めて確信しました。」と書きました。ちなみに彼やアレクサンダーが「science」と書くときには、現代の日本人が科学と考えているものと少し異なります。ケンブリッジ・ディクショナリによれば「science」は「(knowledge from) careful study of
the structure and behaviour of the physical world 実際の世界(精神世界ではなく)の構造と振る舞いを、注意深く調べることで得られる知見」となっていて、哲学者なども「科学者」の分類です。)
中学を出た位の年齢(15歳)で働き始めた(最初の1年半は補助教員、次の3年間はスズ鉱山の事務員)F.M.アレクサンダーが、どうしてそのような深みを知ることができたのでしょうか?
あるとき彼が、「声の問題に取り組むのでなければ、このテクニークを見つけることができなかった。」と言ったことに、ヒントがあるのではないかと思います。
20代前半に舞台俳優を目指していたアレクサンダーは、彼の「声枯れ」に自分で取り組み、このテクニークの基礎を作りました。そのときの一部を著書「自分の使い方」の第1章「テクニークの進化」に
「この頃までには、声を正常にするためには、喉頭(「のど」のこと)の押し潰しをやめなければならない、と確信していました。そのため、喉頭の押し潰しを起こさない頭と首の使い方を見つけたい、と思いわたしは実験を続けました。
この長い期間に行ったさまざまな実験を、詳細に述べることは不可能です...」
と書いています。
「のどの押し潰し」だけならある程度はすぐに取れたでしょうから、とても繊細に観察したか、そのときの声の質で判断していたのでしょう。
さらに、舞台俳優として声をどう良くするかは、常に重要なテーマだったはずです。
彼はこのテクニークを見つけて喉枯れを解消してから、生まれ故郷のタスマニア島とニュージーランドを舞台公演で2年ほど回りました。
また、ロンドンに渡る(それは1904年でした)前には、シドニーで自分の劇団を作って教え、ヴェニスの商人」と「ハムレット」の公演(もちろんアレクサンダー自身が主役です)を何度も行っていたのですから、彼自身と、彼が教える生徒にとって「声」がいつも重要だったはずです。
(そして後には、直接に「声」にアプローチせずに、「チェア・ワーク」を教えることが結局は早道だという大転換に至ります。でも、残念ながら、この部分については、彼がロンドンで初期に書いた多くの小冊子から想像するだけです)。
5月GWに行う4日間のワークショップ(部分参加も可能です)では、この「自分の使い方」の第1章の「テクニークの進化」を中心に、「声」(と呼吸)を実際に扱いながら見て行きます。
アレクサンダー・テクニークが声と密接に関係することが分るでしょう。
始めてそれを知る人も、その内容をより詳細に知りたいと思う人にも役に立ちます。
何しろこの「自分の使い方」(略称UOS)は、後にアメリカ人の友人への手紙で、
「それらの本(それまでに出版したMSIとCCCのこと)からは実際のテクニークは得られないのです。この最新の本には全てが書いてあるのに、アメリカ人は読もうとしない。」
とアレクサンダーが書いているのですから。
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