授業のスタイルについての3回目です。

(3)科目のストーリーを作る

工業高校で専門科目を教える利点は、一人でその科目の授業全てを担当するので、他の先生と授業の進め方の調整を計らずにすむことです。
とても自由に、教科書にもそれほどこだわらずに授業のやり方を考えることができます。

ほぼ白紙の状態から始めて「何が重要か」「なぜ重要か」「興味を持てるのはなぜか」「どの訓練をどの順番にすれば良いか」などを自分で考えることができます。

同じ科目を担当しても、毎年生徒の質は異なるので、質の違いや状況に合わせて進めることもできます。
工業高校は普通高校と異なり、中学校のように1クラスの中の能力格差は大きいので、特にこれは重要でした。
ある年には短時間で済む内容も、基礎的な計算能不足の生徒の割合が多い年には、その力の向上も図り、時間をかける必要があるからです。

わたしが先生になった1年目に戻ります。
「原動機」の教科書に載っている熱力学の理論的な内容は、ほとんど生徒の興味を引くものではありませんでした。
それを理解しても9割以上の生徒がその知識を使うことはないし、大学入試があるわけでもありません。
就職に影響する1学期の成績が出た後は、生徒は授業態度に気をつける必要もありません、「赤点さえとらなければ良い」という気持ちに生徒はなります。

「教科書の内容を分かりやすく伝えよう」考えて1学期は教材研究をしましたが、そのままでは限界があると思いました。
そのため、夏休みに車のカタログなどを集め研究しました。
当時の工業高校の機械科の生徒は、とても車には興味があったのです。
それほど成績の良くない生徒と、実験の授業の休憩中に話をしたときに、彼がエンジンの型番まで覚えていることに、驚いたことを覚えています。
「エンジンの最新の動向がわかること」「車のカタログに書いてあるエンジンの仕様や特性の図を理解できるようになること」「それを教科書の内容に関連づけること」で授業を構成するようにしました。

そのために、生徒に配布するためのプリントを毎回作りました。
その頃わたしが持っていたNECのパソコンPC8001は、まだワープロが使える性能はなかったので、「手書き」と「コピーの切り貼り」でのプリント作りです。
座学の担当はこの1教科だけだったので、始終この授業のことを考えていました。
(授業自体は苦痛でしたが、授業の内容を考えることは、楽しめたとは思います。)

そう授業を変えても、生徒が劇的に変わり、授業がやりやすくなるということはありませんでしたが、1学期よりは興味を持つ生徒が増えて来ました。
少しは頑張っているなと、生徒も見てくれたこととは思います。

1年目にこれを経験したこともあって、自分でストーリーを作ることをその後どの科目でも行ってきました。
その意味では、「教科書を教えるのではなく、教科書を使って(材料として使って)教える」ようにしてきたのだとは思います(文科省からは怒られるでしょうが、ほとんど教科書を使わないこともありました。)
そのストーリーは、他の先生から見ると「一人よがり」なこともあったことでしょう。

【補足】
・わたしは、高校の教科書の作成に参加したことがあります。その場合、全体では5~10人ほどで作ることが多いのですが、分担することで、知識の羅列になり、ストーリー性が欠けがちになる傾向が良く分かりました。
教科書を見ると、ストーリー性の無いものが多くあると思います。
今の教科書は、昔のものより薄くなってきています。ビジュアルで意見したところ、親しみやすいのですが、中身は薄く感じます。
そのような話を、数学科出身の校長としたときに、「以前にしっかりと説明した数学の教科書が作られたことがあったが、その本を採用する学校は少なかっく、その結果、そのような丁寧な教科書はなくなってしまった」のだそうです。

・この訓練がとても役に立ったのは、JICA(国際協力事業団)から文部科学省経由で途上国援助の依頼があったときです。
トルコ共和国の工業高校に、自動制御とネットワークを教える新しい学科を作るプロジェクトでした。
2000年からカリキュラムの作成に加わり、2001年5月から2004年3月までの3年間は、エーゲ海沿いで港のあるトルコのイズミール(人口は200万を越えます)に住んで、トルコの工業高校の先生と一緒に働きました。
わたしの仕事の一つは、その学科用の教科書を作ることで、3年間で4冊を作りました。
内容で記すと
「電気一般についての概要」「機械一般についての概要」「応用数学」「コンピュータプログラミング」
の4種類になります。
このうち、「電気」と「プログラム」を扱う2つの科目は、既に自分で教えていた内容を修正するだけで済みましたが、「機械」と「数学」は、教えた経験がなかったので、新たに考える必要がありました。

「機械」の学習内容を作るときに念頭にあったのは、15歳から機械科で学びながら、実際に簡単なものを作ろうとすると、材料の選択もできなかった自分の経験です。
実際的な問題の必要性から、専門的な知識を学んでいけるようにと考えて作りました。

「数学」を作るにあたっては、高専の4年生、5年生(わたしは、高等専門学校という5年制の高校で学びました)のときに、「力学」や「運動学」について、大学の編入試験の準備も兼ねて、いろいろな本で自己学習していたことが役に立ちました。
(「力学」を深く学んだのは、授業でその科目を教えてくれた先生に、とても影響を受けていたからです。
5年生のときの卒業研究は、その先生につきました。)
変化を単純化する微分と、それを細かく集める積分の意味、複素数が実際の機械と電気の事象を表わすことの意味などをストーリーにしました。
そのわたしが書いた「数学」の教科書を使って、同僚がトルコの先生たちに教えてくれました。
彼がた「とても良いので、日本でも形にするべきだ」と評価してくれました。
半分お世辞だとは思い時ますが、何とか形になったという達成感がありました。

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