BodyChanceのプロコースで教えるアレクサンダー・テクニーク教師ヤスヒロ(石田 康裕)のページです。テクニークの歴史や役立ち情報など多くを載せています。教育分野(学校の先生など)での応用にも力を入れています。ヤスヒロは、埼玉・東京でのレッスン、出張レッスンを行っています。機械工学修士で27年間、高校で教えました。
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アレクサンダー・ヒストリー

アレクサンダー・テクニークの第1世代教師

1.約50人の第1世代アレクサンダー・テクニーク教師 F.M.アレクサンダーから直接教師養成の訓練を受けた先生たちを「第1世代教師」と呼びますが、現在のアレクサンダー界の主な系統は、その第1世代教師のうちの数人により作ら …

池袋レクチャー第4回「アレクサンダーの著作からテクニークが何かを考える」

昨日(2019年8月10日)、池袋レクチャーの第4回が終わりました。 9名の参加者のみなさま、暑い中ありがとうございました。 質問も多く出て、活発にレクチャーを進めることができました。 今回の添付資料は、最終的に ・レジ …

アレクサンダー・テクニーク初期の主要なポイント――小冊子「R.H.スカーネス・スパイサー博士が行ったレクチャーのある前提への反論」

昨年のブログ「恩師スパイサー医師に対するアレクサンダーの反論」で書いたように、スバイサー博士(喉の専門医師)は、1904年にロンドンに渡ったアレクサンダーに対して、彼のテクニークを認めてとても大きな支援を行いました(詳し …

ヨガやピラティスなど全ての身体運動を教える人へのアレクサンダーの警告

アレクサンダーは1908年に、当時流行っていた「身体鍛錬」や「呼吸法」に対して、それが全て害になると批判ました。 特に当時流行っていた「ディープ・ブリージング(深い呼吸)」などが、人の身体を奇形と言えるまでに変形させてい …

アレクサンダーが行った3つのレクチャー

アレクサンダーが行なった一般向けのレクチャーの記録は3つだけが残っています。 彼はレクチャーを良い手段ではないと考えていたので、多くは行なってはいませんが、例えば第二次大戦中の1941年には哲学者ジョン・デューイの企画で …

アレクサンダー1冊目の本「人が受け継いでいる最高のもの」MSI

「人が受け継いでいる最高のもの」 この一冊目の著書を、アレクサンダーはロンドンに渡って6年目の1910年10月、41歳のときに出版しました。彼はそれまでに多くの小冊子を作っていましたが、書籍はこれが最初です。 1ページに …

アレクサンダーが書いた新聞投稿や小冊子

1.4冊の著書と「アーティクルズ・アンド・レクチャーズ」 アレクサンダーは、1910年(彼は41歳)に1冊目の「人が受け継いでいる最高のもの(略称MSI)」を出してから、1941年(歳)に最後の「生きる上で変わらないもの …

「アレクサンダーの生涯とその教え方の変遷」第3回

昨日4月29日(月、祝)池袋レクチャーで、3回シリーズの最終回が終わりました。今回は、都合のつかない方や当日体調不良で不参加の方がいて、参加は10名でした。内容と参加者の感想をお伝えします。 アレクサンダーの晩年の概要 …

アレクサンダーの晩年と別れ、死後の混乱

前回書いたように、アレクサンダーの晩年は大きな負担になった名誉毀損裁判がありましたが、その上親しい人たちの死別と親しい弟子たちとのケンカ別れがありました 親しい人たちとの死別 すでに紹介したようにF.M.より5歳若く、ず …

アレクサンダーの名誉棄損裁判と彼の脳卒中

第二次大戦が終わった年の1945年8月に、アレクサンダーは南アフリカ政府の体育教育責任者のヨーケル博士に対して、彼が書いたテクニークへの中傷記事の名誉棄損裁判を起こしました。 アレクサンダーは簡単に終わると考えていたので …

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