オルダス・ハクスリーは、アレクサンダー・テクニークの歴史のうえでも重要な人物です。ハクスリーを超えるのはプラグマティズムの哲学者ジョン・デューイくらいで、この二人が、テクニークを称賛して文章にしたことで、多くの人たちがアレクサンダー・テクニークを知り、レッスンを受けることを決めました。

ハクスリーは、F.M.アレクサンダーのレッスンでとても健康を改善しただけでなく、テクニークの考え方も十二分に理解し、著書「目的と手段 [End and Means] 」などを書いています。ハクスリーの理解については、F.M.アレクサンダー自身も認めていて、著書にハクスリーの文章を引用しています。

ハクスリーは、アレクサンダー・テクニークの体験の後に、ベイツ・メソッドによる眼の指導を受け、視力が改善しました(彼の視力障害は重かったので、普通の人のように視力が回復したわけではありません。ハクスリー自身も、自分が完璧に完治したわけではない、と言っています。)。

ハクスリーの著書「見ることのアート」は、「見る」機能の理解に役立つ当時の科学の知見を示しながら、ベイツ・メソッドを具体的に紹介しています。さらに「人の振る舞い」(私たちが日常生活でいつも行っている動きは、実際はどのようなものか、ということです)についてのアレクサンダー・テクニークの考え方も、ベイツ・メソッドの考え方の理解を助けるために使っています。

そのために、彼のこの本はアレクサンダー界でも有名です。

使い方が機能に影響する

ベイツ・メソッドは、ベイツがその著書を書いた1920年頃も、そして今でも、一般の眼科医からは批判を受けていて、害を及ぼす危険なものとみなされています。

それは、アレクサンダー・テクニークが通って来た道でもあります。1940年代後半にアレクサンダーが訴えを起こした名誉毀損訴訟では、何人かのイギリスのノーベル賞受賞者が、アレクサンダー・テクニークはインチキ医療だと法廷で証言しました。

いわゆる「科学的な」という言葉は、ときには、とても危険で信憑性がないことは、ハクスリーが「見ることのアート」に書いている通りです。

それについては、プラグマティズムのジョン・デューイも、アレクサンダーの著書「自分の使い方」(1932年出版)に寄せた序文で、実験室で再現できることだけで判断し、実際に起こっていることを見ようとしない「科学」に対して、批判を行っています。

ただ、その風潮は変わってきているとは言えます。ひと昔前は科学と考えることができなかったものを科学が扱うようになってきているからです。

従来の科学では捉えにくいものとして、アレクサンダー・テクニークでいう「自分の使い方」があります。

「使い方」は、人が自分の行動に持っている「習慣」と言い変えることができます。それを使えば、ベイツの主張は、
「眼とマインドの使い方に悪い習慣を身に着けてしまったことで、視力が悪くなっているのだから、その習慣を変えれば視力は回復する。」
となるでしょう。これはまさに、アレクサンダーが「使い方が機能に影響する。」と言っているものです。

そう言葉で表現することは簡単ですが、それを使って改善を起こすためには、アレクサンダー自身がそうしたように「自分がやっている何かが、その障害を引き起こしたに違いない。」と考えることができて、地道な自分の観察と実験の道を通る必要があります。

それは、普通の人にとっては困難な道だ、と覚悟する必要があります。

誰もが、自分の習慣を変えようとしないで、医師に診てもらい、薬で治してもらう方を好むからです。(アレクサンダー・テクニークとの違いは、ベイツ・メソッドには、「頭―首―背中」の関係という鍵になるものはないことです。「感覚認識はあてにならない」ことの悪影響も、比較的少ないので、アレクサンダー・テクニークよりはるかに独習しやすいとは言えます。)

その困難な道を進もうと決心すれば、ベイツ・メソッドは習慣を変えるためのいろいろな手段を教えてくれます。

危険だとして標的になっているサニング(眼に太陽光をあてる)を除けば、ベイツ・メソッドには害はないし、何よりも、その効果を自分で確認しながら行えるという点が優れています。

アレクサンダー・テクニークと同じように、生きる中で起こる自分の重大事を、人任せにせずに取り組めることがある、と思えることは誰にとっても良いことでしょう。

手や指や脚の動きに障害を負った人(半身不随の人なども含めて)の場合と同じように、自分では何もできない、と思った途端に機能がさらに失われ始めて、回復の可能性は減って行くからです。「心」と「身体」は別個のものではありません。

ベイツ・メソッドを使うときにも、アレクサンダー・テクニークは役に立ちます。アレクサンダー・テクニークは、行っていること全てを効率よくできるようにしてくれるからです。

ハクスリーも、当然、テクニークで学んだことを使いながら、ベイツ・メソッドに取り組んだことでしょう。 (私は、新宿・朝日カルチャーセンターのクラスで眼の改善の講座を教えたことがありますが、そのときはベイツ・メソッドは使わずに、アレクンダー・テクニークだけを行い、参加者の全員が、見え方が良くなることを体験しました。)