マッケイ博士の手紙

アレクサンダーが書いた文書を集めた「アーティクルズ・アンド・レクチャー」の中に、オーストラリア時代にシドニーの有名な医師から受け取った次の手紙が載っています。

「あなたから学び、何年も自分の患者をあなたに治してもらったことで、世界中の人たちが呼吸を学ぶ必要があることを知りました。あなたが人の呼吸の改善の優れた方法を見つけた、とわたしは躊躇なく言うことができます。多くの医師があなたを信頼していますが、わたしがそう言っていることを、あなたはわたしの許しのもとで公言できます。」(W.J.スチュワート ・マッケイ

この手紙が書かれた1903年は、アレクサンダーがロンドンに渡る1年前で、彼は34歳になっていました。
マッケイ博士(医師)はシドニーで影響力のある人で、アレクサンダーに初めて会ったときに、「君の方法が正しければ君に協力しよう。そうでなければ君を破滅させる。」と言ったそうです。

この手紙からは、イギリスに行く前にすでに、アレクサンダーが教えていた呼吸法が医師たちから認められていたことが分ります。
彼がイギリスに行くことを決めたのもマッケイの勧めがあったからだし、そのような評価がなければ、ロンドンに渡ってすぐに30分で3万円ほどの料金で教えるというような決断はできなかったことでしょう。
1904年にロンドンに渡ってすぐに、彼の「呼吸の改善の優れた方法」は医師にも認められ、演劇界の一流の人たちが生徒になりました。

フルチェスト・ブリージング

それでは、彼の呼吸法、彼の呼び方では「フルチェスト・ブリージング」は、どういう内容だったのでしょうか?
残念ながらどのような方法で教えていたかの記録はあまりないようですが、彼の1910年の小冊子の「運動感覚系の再教育:補遺」には、手でイスの背をつかむ動きや、壁にお尻を近づけたりすることで股関節を使う動き、などの説明があります。
おそらくイスで立ったり、座ったりの動きも使っていたでしょうし、オーストラリア時代には、アレクサンダーの妹のエイミーがアシスタントとして、横になった生徒にワークを行っていました。(AT界でよく知られている「ウィスパード・アー」も当時すでに行われていたようです。)

それらは一見、身体の各部の動きを行っているように見えますが、「呼吸」の改善を目的としていたアレクサンダーは、それらを使って胸の可動性を上げて呼吸を改善させていた、と考えられます。
(生徒は、彼の方法により身体の骨格が変わり、呼吸が変わり、身体にそれまでに無かったエネルギーが出せるようになりました。1912年にレッスンを受け、後に助手になりリトル・スクールも作ることになったアイリーニ・タスカーは、アレクサンダーに「もし君が一連のレッスンを受ければ、今の十倍活動できるようにしてあげよう。」と言われたそうです。)

やがてアレクサンダーが書く文は、呼吸から身体全体の協調状態のことに移っていきますが、彼が生徒の身体にもたらしていた変化の基本は、実はそれほど大きくは変わっていない、とも言えます。その初めから、直接呼吸を教えていたわけではなく、身体全体の余計な力みを取り除いて、柔軟性を作ることで、呼吸に変化をもたらしていたらからです。

身体の柔軟性と身体の何を観察するのか

アレクサンダー・テクニークで、「身体に柔軟性を作り呼吸を改善する」という視点をもつことは、ATを学ぶときにも教えるときにも役立ちます。
そのとき、彼が初期の小冊子に書いた観察内容は良い基準になるので、その内容を理解して使えるようになることはとても重要です。

第5回坂戸ワンデイWS「呼吸のしくみとATの呼吸法」は、アレクサンダーが見た観察内容を中心にしながら、1日かけて呼吸に変化をもたらします。第6回「声のしくみとATの発声法」は、その呼吸を使いながら、有声音を使いながら、ATで身体の使い方を変えることで、その変化を作り出します。
http://yasuhiro-alex.jp/sakado_1day/