アレクンサンダーと足

アレクサンダーが彼のテクニークを見つける過程を書いた「テクニークの進化」(彼の3冊目の本「自分の使い方」の第1章)は、「足」について書いています。
この有名な本を既に読まれた方は、覚えているでしょうか?

そこには、アレクサンダーが俳優を目指していた頃、先生の教えに従って「床をつかむ」ように練習したことが「頭を後ろに」引いてしまう彼の悪い使い方の主要因だった、と書いてあります。
それが彼に声枯れを起こさせることになりました。
(どれだけわたしたちの多くが、先生の指示を自分の感覚によって解釈したために、努力することで身体の障害や悪い癖を作り出していることでしょう!)

アレクサンダーと脚

ただ、脚についてはその章にはでてきません!
初期の頃に、舞台での声のパフォーマンスにより生徒を集め、その後は自分のテクニークを「フルチェスト・ブリージング(胸全体を使った呼吸)」として宣伝し、「ブリージング・マン」として生徒を集めたアレクサンダーは、一見すると脚にそれほど関係していないように見えます。

ところが、アレクサンダーが生徒に教えたもの(後に「プロシージャ」呼ばれることになりました)には、「モンキー」や「つま先で立つ」、「壁のワーク」など、脚を使うものが多く出てきます。
彼の「自分の使い方」の訓練の中には脚も含まれていたのです。

彼は個人レッスンの生徒にも教えたし、教師養成コースのトレーニーは、それらを練習しました。
(確かに晩年のアレクサンダーはチェア・ワークしか教えなかったようですが、彼は脚のことを十分意識してそれにも働きかけていたことでしょう。彼は脚についての十分な知見があったのですから。それはまるで、上から紐で人形を操る人形使いのようなものです。上から糸だけで操作をしますが、人形使いは人形の各動きについて正確に知っているはずです。やみくもに糸だけ操作しても、下の変化が分らなければ意味のある動きにはなりません。)

それらのプロシージャは、何か参考になるものはあったことでしょうが、アレクサンダーが独自に完成させたことは確かなようです。
なにしろ彼には、妹のエイミーの脚のケガの後遺症を独力で治したという経験があるからです。

エイミーの脚の後遺症を独力で治す

これについてはブロッホの「アレクサンダーの生涯」の記述はわずかしかないので、もう1冊の彼の伝記の「フレデリック・マサイアス・アレクサンダー ファミリー・ヒストリー」(エバンス著)の本から引用します。

「彼の妹のエイミーに大きな災難が起こりました。ある日、彼女が仔馬に乗っていたときに、その仔馬が滑り、投げ出されてしまったのです。片足があぶみに引っかかっていたために、1キロ弱も引きずられてしまいました。重傷で、それが治った後でも普通に歩くことが出来ませんでした...アレクサンダーは専門家に治療してもらうように、妹をメルボルンに呼び寄せました。1年そこらの間、彼とエイミーはオーストラリア中を回り、治してくれそうな専門家を探しましたが、徒労に終わりました。そのため、彼は自分でエイミーを教えることにしたのです。彼女は改善していき、やがては足を引きずらなくて済むようになり、使い方が良くなることで両脚の長さも同じになりました。」

これは考えてみると、自分の喉の障害を克服するために、アレクサンダー・テクニークを発見したことに匹敵するくらい、大きなことだったと思います。
専門家を渡り歩いたということは、医師だけでなく、いろいろな治療法を当たったことでしょう。

そのような人たちが見放した症状を直したのですから、その過程では間違いなく脚につういていろいろな発見があったに違いありません。
このときに、アレクサンダーは、エイミーさんに主に、手で何かにつかまりながら、つま先立ちを行わせたと言われています。
これは、彼のメルボルンで教えていた時代(1996年-1999年で、27歳―30歳)のことでした。
ちなみにエイミーさんは、第一世代の有名な教師マージョリ・バーローの母親です。


坂戸ワンデイ・ワークショップ、関西ワークショップ

11月23日(火、祝)の坂戸ワンデイ・ワークショップは第3回「胴体と脚のコーディネーションを知る」です。

「モンキー」や「つま先で立つ」などのアレクサンダーのプロシージャを行いながら、それをうまく行うために身体のファシアのしくみ(特に、背中―大殿筋―脚のつながり)も理解します。

同じ内容を平日開催で12月23日(月)にも行います。

坂戸ワンデイ・ワークショップ

また、大阪梅田では12月3日(金)に3時間に短縮して行います。

関西ワークショップ・個人レッスン