F.M.アレクサンダーの伝記は3冊が出版されています

 (1)1994年出版
「アップ・フロム・ダウン・アンダー Up From Down Under」
ロズリン・マクロード (横155mm x 縦230mm 本文 155ページ)

 (2)2001年出版「F.M.アレクサンダー ア・ファミリー・ヒストリー FREDERICK MATTHIAS ALEXANDER A FAMILY HISTORY」
J.A. エバンス (横195mm x 縦253mm 本文 248ページ)

(3)2004年出版「フレデリック・マサイアス・アレクサンダーの生涯F.M. THE LIFE OF FREDERICK MATTHIAS ALEXASDER」
マイケル・ブロッホ  (横134mm x 縦215mm 本文 246ページ)

この他にアレクサンダー自身が、オーストラリア時代(1869-1904)について、自伝の草稿を書いています(これは(1)と、モーリッツ社の「F.・マサイアス・アレクサンダー アーティクルズ アンド レクチャーズ」に入っています。)

この3冊のそれぞれについて、今回は見てみます。

(1)「アップ・フロム・ダウン・アンダー」

これは、アレクサンダーについて書かれた最初の伝記です。
著者のロズリン・マクロードは、1937年生まれのオーストラリア人で、音楽系の大学を出た後、1970年代の初めにレッスンを受け始め、ロンドンとシドニーで教師トレーニングを受けました。

目次は次のようになっています。

1.初期のオーストラリア
2.イギリス –- アレクサンダー兄弟
3.金、金
4.1830年代から1880年代のバン・ディーメンズ・ランド(タスマニア島のこと5.F.M.アレクサンダー ワインヤードとワラタ
6.素晴らしいメルボルン
7.メルボルンのF.M.アレクサンダー
8.インタールード(合間)
9.タスマニアとニュージーランドでの公演旅行
10.教えることと朗誦
11.ミス・リリアン・トワイクロス
12.アレクサンダー・リーパー博士
13.シドニー

1700年代後半のオーストラリアの様子から書き始め、1831年にF.M.アレクサンダーの祖父のマサイアスが、罪人としてタスマニア島に送られた経緯などを書いてから、5章でようやくアレクサンダー自身(1869-1955)が登場します。
8章が、アレクサンダーがテクニークを作った期間にあたりますが、それについてはほとんど書いていません。

この本は、当時の現地の写真や、アレクサンダーが行ったリサイタルのパンフレットの写真などを豊富に載せていて、その状況を詳しく知ることができます。
目次で分かるように、これは、アレクサンダーのオーストラリア時代までしか扱っていません。

(2)「ア・ファミリー・ヒストリー」

著者のジャッキー・エバンスは、F.M.アレクサンダーの姪の娘で、彼とアレクサンダ―家について詳細に調べていて、巻末には詳細な家系図も載せています。

大版な上に文字がやや小さいこの本は、一家の詳細な情報が多く詰められていて、それぞれの人物像がとても良く分ります。(例えば、F.M.の弟のA.R.良い騎手で、幾つかの地方のレースで勝ったことなどを書いています。
しかし、この本もテクニーク関係の記述は少ないです。

この本も、F.M.が生まれる前、彼の先祖のイギリス時代から書き始めていますが、終わりは、彼の死になっています。

(3)「フレデリック・マサイアス・アレクサンダーの生涯」

著者のマイケル・ブロッホは作家で、他の人の伝記を既に書いていました。彼がアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けていたときに、ぜひF.M.アレクサンダーの伝記も書いて欲しいと言われて、ウォルター・キャリントンに紹介されたことが始まりです。

この伝記は、他の2冊の内容も踏まえて書いていますが、アレクサンダー・テクニークの内容の進展について触れている所が特徴的です。
晩年の名誉棄損裁判の様子についても、詳しく書いています。

次に載せた、目次は、F.M.アレクサンダーの、生涯を上手く区切っていると思います。
第1章 タスマニア(1869-1889)   ――20年間
第2章 オーストラリア(1889-1904) ――15年間
第3章 ロンドン(1904-1914)    ――10年間
第4章 アメリカ(1914-1924) ――10年間
第5章 進  展(1924-1939) ――15年間
第6章 戦  争(1939-1946) ―― 7年間
第7章 裁  判(1944-1948) ―― 4年間
第8章 終  幕(1948-1955) ―― 7年間

F.M.アレクサンダーという天才の辿った道や、運命はとても興味深いものです。
ぜひ、どれか読んでみて下さい。