アレクサンダーが行なった一般向けのレクチャーの記録は3つだけが残っています。

彼はレクチャーを良い手段ではないと考えていたので、多くは行なってはいませんが、例えば第二次大戦中の1941年には哲学者ジョン・デューイの企画で、アメリカで300人を前にレクチャーを行っています。

それについては、アレクサンダー自身が、「今まで話したどの人たちより興味を示した」と書きました。

限られた時間の中で、ほとんど何も知らない人たちにどのようにテクニークをアレクサンダー自身が説明しているかは、興味深いものですし、彼はレクチャーでは、何人かを生徒にしてデモンストレーションを行いました。

アレクサンダーの書籍の発行を行っているMouritz社を作ったJ.O.フィッシャーは、記録が残っている最初のレクチャーについて

「アレクサンダーの語り方は、簡潔で順序立ててはいないとしても、この筆記記録は、彼が気取った話し方をせずに、ユーモアを持ち、臨機応変に構成していたことを示しています。彼のレクチャーは、自然さがあり、それは彼の著書には見られないものです。形式張らない語り口により、彼が教えるときに著書とは異なる言葉を使っていたことを明らかにしています。」

と書いています。

アレクサンダーが実際にどのような言葉でレッスンを行っていたかを知ることができるという点で、これらのレクチャーは貴重です。

記録の残っているレクチャーは次の3つで、それぞれいくらか年代が離れています。

1925年 2月 「児童研究協会レクチャー」
1934年 8月 「ベッドフォード体育大学レクチャー」
1949年11月 「聖ダンスタン レクチャー」

(1)「児童研究協会レクチャー」

記録が残っている最も古いレクチャーですが、それでもアレクサンダーはもう56歳、教え始めてから31年を経ているので、既に自分のスタイルを十分に確立していると言えます。

1923年出版の彼の2冊目の本「建設的で意識的な個人のコントロール」のすぐ後なので、この本の中心になっていた「感覚認識」について、最初の方で腕のケガで肩の位置が変になった人の具体例を挙げて触れています。

このレクチャーの主な内容は、イスに座ることについてで、それについて詳細に書いています。
この説明から、彼の基本になる考えを読み取ることができることでしょう。
座る動作だけでなく、その後で前かがみの崩れた姿勢にならないように、そして休息の姿勢を取ろうとしてイスの背もたれ押してしまわないように、防止する指示も行っています。

聴衆から「歩くことについて教えてもらいたい」という要望が出たときに、彼が「わたしは歩くことを教えることはできません。それは呼吸を教えることができないことと同じです。」と言い、その理由を説明している部分もユニークです。

1923年11月に、マグナス教授の研究がイギリスで紹介され、その後アレクサンダーが知ることになりました。
彼はそれ以降、「プライマリ・コントロール」という言葉を使い始めて、それがアレクサンダー・テクニークの内容を示す重要な考え方になっています。

ただこのレクチャーでは、知ったばかりだったためか、「プライマリ・コントロール」という言葉自体は1回しか出てこなくて、それも彼がテクニークで使う専門用語とう感じではありません。

マグナスの研究とアレクサンダー自身のワークとの関連性を、「セントラル・コントロール」という言葉を使ってこのレクチャーで説明する中で出てきます。

そのためこのレクチャーでは、「プライマリ・コントロール」を使う前の、彼のテクニークの説明を知ることができます。

(2)「ベッドフォード体育大学レクチャー」

1931年に始まった教師養成コースのほぼ第1期が終わる頃に行なったレクチャーです。

そのため養成コースのトレーニーたちが、最前列で聞いていました。
(アレクサンダーは、その卒業間近のトレーニーたちのことも十分に考えて、内容を作ったことでしょう。)

この説明には「プライマリ・コントロール」が18回も出て来るので、彼のその言葉の具体的な使い方を知ることができます。

このレクチャーについては、http://yasuhiro-alex.jp/2019/02/08/lytton-2/で書いているので、そちらもご覧ください。

3つレクチャーの内で、最も良い状態で記録が残っています。

(3)聖ダンスタン レクチャー

第二次世界対戦(1945年に終了)後に、アレクサンダーは、南アフリカの政府高官が書いたテクニークを批判する記事に対して、名誉毀損裁判を起こしました。

すぐに記事を引き下げるだろう、という当初の予定とは大きく異なる進展になり、彼はその心労から1947年12月に2度の脳卒中を起こしました。
このレクチャーはそこから回復した後のもので、アレクサンダーは80歳です。
6年後に彼は亡くなっているので、ある意味で彼の到達点と言えます。

彼はこのレクチャーを、「人の信じ込みの問題点」と「インヒビジョン」で始めています。

アレクサンダー・テクニークは主に「インヒビション」だと言われるときがありますので、ここでの説明は興味深いものです。

さらに、間違っていると感じることを行うことの重要性を述べている部分もユニークです。

興味深いことに、このレクチャーでデモンストレーションを行っているときに、彼は「プライマリ・コントロール」という言葉を使ってはいません(質疑応答の中で1回使っています)。
その点では、前のベッドフォード・レクチャーとは大きく異なります。

その代わりに以前に戻ったように、拮抗的な引っ張りについて分かやすい説明をしています。

この残っている記録の分量が少ないことは残念ですが、主要な部分は読むことができます。

 

***8月10日(土)池袋レクチャー***

8月10日(土)の池袋レクチャー第4回「アレクサンダーの著作からテクニークが何かを考える」では、アレクササンダーの小冊子と彼のレクチャー、4冊の本の内容を追い、教えている用語や内容がどう変わっていくかなども見て行きます。
資料には、ここで取り上げた「児童研究協会レクチャー」と「聖ダンスタン・レクチャー」の本邦初訳があります。
「ベッドフォード・レクチャー」も購入することができます。

 

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