1929年の世界金融恐慌により、アレクサンダー自身の財産が痛手を受けただけでなく、個人レッスンの生徒数が減りました。
そのため反って、彼が教師養成を始める時間がきたとも言えます。

1931年に始まった教師養成コースは、 62歳のアレクサンダーにとってアレクサンダー・テクニークを後世に残すためには、必要だという認識も少しはあったようです。
しかし、何よりもリットン卿のような支援者たちが、教師養成を行うことを強く求めていました。

教師養成の内容はどのようだったでしょうか。
3月にそれが始まった時には8人の生徒がいました。
第1期はその後に4人が加わります、1人を除いては全員が終了し、資格を手にしています。(どういうメンバーがいたか、末尾に書きました。)

第1期の教師養成は、もちろんアレクサンダーにとっと初めてのものなので、試行錯誤があったことでしょう。
この第1期の生徒だけは、本格的な舞台での劇の公演を2年に渡って行っています。
そのような不安定さがあっても、第1期のコースは、多くのメンバーが有名なアレクサンダー教師になっていることから判断して、成功と考えられます。
最初の人たちは、特にパイオニアスピリットがあったことでしょう。

 

トレーニングは、基本的にはウィークデーの午前中に2時間の全体でのレッスンがあり、それぞれが順番に個人的なレッスンを受け、他の人はそれを見ていたり、自分で何かに取り組み、午後は個人またはグループで自習をするというスタイルでした。
アレクサンダーの教え方は、手取り足取りではなく、生徒たちが自主的に問題意識を持ち探求していく、ことを要求しました。
3年のコースで行われましたが、第1期の生徒たちだけは、まだ準備ができていないとアレクサンダーに判断され、もう1年トレーニングを続けました。

教師養成ついては、他のブログでも書いていますので興味がある人はそちらをご覧ください。http://yasuhiro-alex.jp/2017/09/18/teacher_training1/

この頃のアレクサンダーの教え方はどうだったでしょうか。
アレクサンダーには珍しく、1934年に行ったベッドフォード体育大学でのレクチャーを行なっています。
この「ベッドフォード・レクチャー」は、記録が残っている彼の3つのレクチャーのうちの一つです。

体育大学の生徒や教師向けではあったのですが、その最前列には、もうトレーニングの4年目を迎えて卒業を目前にしていた、第1期の教師養成コースの生徒たちがいました。
このレクチャーの内容については、彼らに何を伝えるかも、アレクサンダーは十分考慮したことでしょう。

前半は、「プライマリ・コントロール」とは何かの具体的な説明と、最初に「何をしないか教える」ことが重要だということを、例を挙げて説明しています。
後半は、生徒を使ったデモンストレーションですが、とても具体的に説明しながら、いろいろなエッセンスを含めて、チェア・ワークや、つま先立ちになる、などを行っています。
彼が生徒に指示している言葉の中には、「自分の頭が体から離れて行くように」というマージョリー・バースト―が時々使う言葉もあることは、興味深いところです。

 

少しこの「ベッドフォード・レクチャー」中から引用しましょう。

 

【生徒に向かって】これから、あなたに座るように言います。
あなたは「いや、わたしは座らない。座る代わりに、自分の頭が体から離れていくようにさせる。」と言ってください。
このように。
【アレクサンダーは彼が「このように」で何を意味するかを、彼女の身体に手を使って示します】。
起こるべきことは、首のこの部分がこちらに戻ってくることです  。
彼女が膝を前に行かせれば、イスが彼女を支えてくれます。
彼女は決して前かがみ  になることはないのですが、行ったことによって彼女の背中の筋肉を調整したからで、それが首と頭の引っ張りに作用しました。
彼女がそれを妨げる何かをしなければ、ずっと前かがみになることはありません。

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記録された内容は、A4で15ページにも渡りますが、内容が具体的なので、彼の4冊の著書に比べてはるかに読み易く、アレクサンダーのWSに参加している気分になります。
1934年ですから、おそらく録音機器はなかったことと思われますが、良くここまで詳細に残したものだと感心します。

※2月11日(月、祝日)のレクチャーでは、「ベッドフォード・レクチャー」の和訳資料について説明します。
 「アレクサンダーの生涯とその教え方(2回目)」

レクチャーに参加されれば、全体像をつかむことが容易になりますが、資料を読むだけでも、多くの具体的な情報を得ることができます。
資料だけの購入を、希望される方は上記ページをご覧ください。

 

***第1期教師養成の8人(開始時)+5人(その後3年のうちに参加)
ケンブリッジ大学出身の男性二人、そのうちの一人ジョージ・トレビアンは前教育大臣の息子で、もう一人はガーニー・マキネスです。残りは女性で、フローベル・インスティチュートを卒業し、すでに「リトル・スクール」を助けていたマーガレット・ゴールディー、ゴールディのフローベルの友人アイリーン・スチュワート、秘書のエセル・ウエッブの姪でずっとレッスンを受けていた エリカ・シューマン、 ダンス教師のマージョリー・バーストー、後で本を書いたルーリー・ウエストフェルト、ガーニーの妹で、「リトル・スクール」を終えていたジーン・マキネスです。

その後に、ルーリーの友人キティ・メリック、英国医師会の会長を務めたこともあるピーター・マクドナルド医師の息子パトリック・マクドナルド、チャールズ・ニール、アレクサンダーの姪のマージョリー・メチンが、第1期に加わりました。