ARの教え方とFMの教え方

ウォルター・キャリントンは、「二人(FMとAR)は、深い関係を持ち、お互いを理解していましたが、合わない所もありました。」(Walter Carrington 「Personally Speaking」)と書いています。
性格の違いと学んだ体験の違いから、FMとARは教え方も異なっていました。

ARの教え方について、フランク・ピアス・ジョーンズはFMと関連させて次のように書いています。
(ジョーンズはアメリカのブラウン大学で古典を教えていて、1938年からARの個人レッスンを受け始め、後にFMとARから教師養成トレーニングを受けました。)
「わたしがFMからワークを受けたとき、彼はほとんど「方向性の指示 directive order」、つまり「シンキング」をするようにとは言いませんでした。
わたしが自分に行っている指示に満足していて、それは、彼にとって十分だったのだと思います。

ARは全く違っていました。
彼は、始終生徒を止めて「感じようとしている、それはシンキングではない。」と言いました。
それは、生徒が自分の身体を固めたり、重くしていて、ARの手のディレクションに反応していない、ということでした。
レッスンの中で、生徒の知覚 mind が彷徨い出し、起きていることの気づきがなくなることは良く起こります。
ARは、生徒を長くその状態にさせることはありませんでした。
彼は兄のようなショーマンシップはなかったし、おそらく彼の手は兄ほどには巧みでなかったからでしょう。
彼はとても忍耐強く、強い意図を持って、自分が重要と思う点を伝えようとしていました。
(FMについては、生徒に劇的な変化を作りだしてしまえば、それ以上を教えることに興味がなくなってしまうように、わたしはときどき感じました。)
ARは、自分でテクニークを見つけたわけではなく、自分に「教え」なくてはならなかったため、学ぶときの難しさをより理解していました。」
(F.P.Jones 「Freedom to change」)

FMとARのレッスンで行う内容の違いについても、ジョーンズは書いています。 「イスに座ったり、立ったり」という内容は共通でも、その取り上げ方や、他に行う内容は異なっていました。

「ARは、モンキーのような特別な姿勢をレッスンでさせることは、実例として示すとき以外はありませでした。
彼は安定して立っていることが大変なので(ヤスヒロ注:ARは落馬により重傷の後遺症がありました。)、ほとんど動き回らずに、イスに座っている生徒の側面に向かうように直角に低いソファを置き、そこに座っていました。
彼の手の使い方は巧みで、ほとんどいつも生徒の肩から上の部分に手を使っていました。
生徒がシンキング、すなわち「指示 ordering」を行っていれば、ARは片手を腕や背中に置いて、楽に生徒をイスに座ったり、立ち上がったりができます。
生徒がシンキングをやめれば、ARはすぐに気づき、「それはアレクサンダーではない。」と言うのです。

わたしのARとの初めの頃のレッスンでは、イスに座ったり、そこから立ち上がったりすることが、レッスンでいつも行う内容でした。

それは、心配や不安を起こし、それをコントルールするという、実験室的な訓練でした。」
(F.P.Jones 「Freedom to change」)

ウォルター・キャリントンは、ARが教えるときに座っているイスの位置については、は違った記述をしています
「彼は、スツール(注:背もたれと肘かけのない簡単なイス)に座りました。
生徒の横ではなく、前に座ります。
手も使いましたが、眼も使いました。彼は、生徒の眼と顔の表情を観察して、それによって生徒が「抑制しているか、方向性を出しているか」が分かるのです。

FMも、座ることが良くありました。
自分用のスツールがいつもレッスン室にあり、脚にワークしたり、ウィスパード・アーを生徒にやらせるときに使いました。 ARは、しばしば生徒にライング・ダウンをさせてワークしました。」
(Walter Carrington 「Personally Speaking」)

ウォルターは、生徒に何を要求するかも二人で違っていたと書いています。
「FMの有名な言葉に『生徒が好もうが好まないが、わたしはそれを与えることができるようになった』があります。
ARは、決してこうは言わなかったと思います。
彼は、もっと生徒からの協力――考え、注意すること――を使う教え方をしていました。ARはFMに比べて、生徒への要求が多かったのです。
FMが、晩年教えていたときは、とても静かにワークしていました。」(Walter Carrington 「Personally Speaking」)

 FMとARの両方からレッスンを受けた生徒たちはみな、異質のものを受け取ったことが役に立ったと言っています。
FMは、先生は個人で教える方法を見つけて行く必要があると言いながら、ときどき自分が育てた生徒を批判して「テクニークを教えていない」と言っていたそうです。 ARに対しては、それはありませんでした、

「ARアレクサンダー・FMとの教え方の違い」終わり

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