BodyChanceのプロコースで教えるアレクサンダー・テクニーク教師ヤスヒロ(石田 康裕)のページです。テクニークの歴史や役立ち情報など多くを載せています。教育分野(学校の先生など)での応用にも力を入れています。ヤスヒロは、埼玉・東京でのレッスン、出張レッスンを行っています。機械工学修士で27年間、高校で教えました。
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アレクサンダー・ヒストリー

アレクサンダーの教え方の変遷の記録

アレクサンダーは、彼のテクニークを25歳から教え始め、86歳で亡くなるほぼ2週間前まで途切れることなく教え続けました。ほぼ60年間に渡ったわけですが、その教え方は当然大きく変わったことでしょう。 残念ながら彼の最初の10 …

「アレクサンダーの生涯とその教え方の変遷(2回目)」

2月11日(月、祝)の池袋レクチャーが終わりました。 参加者の感想(今週末締め切り)については、集まり次第このブログの末尾に加えて行きますので、随時このページをご覧ください。 今回は16名の参加があり、資料だけの購入も現 …

教師養成コースの始まりと「ベッドフォード・レクチャー」

1929年の世界金融恐慌により、アレクサンダー自身の財産が痛手を受けただけでなく、個人レッスンの生徒数が減りました。そのため反って、彼が教師養成を始める時間がきたとも言えます。 1931年に始まった教師養成コースは、 6 …

リットン卿(リットン調査団の団長)がアレクサンダーの支援を行った

満州事変や満州国の建国についての調査を行った「リットン調査団」の名前は、歴史で習って覚えている人も多いことでしょう。(リットン調査団は、国際連盟により1932年に作られ、調査を行い、その年の10月に調査報告を出しています …

アレクサンダーが始めた普通教育の学校「リトル・スクール」

アレクサンダーは、15歳から約2年間を補助教員として教えていたし、教育者のデューイとの交流もあって、教育に深い関心を持っていました。彼のアレクサンダー・テクニークは、何よりも子供たちを教育するためものだと、2冊目の本「個 …

アレクサンダーが世界的哲学者ジョン・デューイに与えた影響

1914年に第1次世界大戦が始まってからは、アレクサンダーの生活に大きな変化が起こります。イギリスでの生徒が減ったこともあって、戦争が始まってすぐに、彼はアメリカ合衆国に初めて渡り、その後ほぼ10年間を秋から春にかけてニ …

 プライマリ・コントロールの始まり――ルドルフ・マグナスとの関連で

「プライマリ・コントロール」は、アレクサンダーが自分が発見した「頭―首―背中」の関係を表わすために使った重要な言葉です。その考え方はアレクサンダー・テクニークの根本をなすものですが、彼が「プライマリ・コントロール」と言う …

アレクサンダー・メソッドを学校教育に取り入れる提言

驚くべきことですが、1909年というとても早い時期に、既に学校教育に取り入れたら良いという提言がなされています。 オーストラリのメルボルンのトリニティ・カレッジで校長を務めたアレクサンダー・リーバー博士が、メルボルンのあ …

「インヒビション」と「ミーンズ・ウェアバイ」の始まり――それが正しい呼吸につながる

1904年にロンドンに渡ったアレクサンダー(教え始めて10年後です)は、しばらくは呼吸に関するリーフレットを作って自分のワークの宣伝を行いました。その4年後の1908年12月に作った「運動感覚の再教育」で初めて、そのタイ …

恩師スパイサー医師に対するアレクサンダーの反論

スバイサー医師は、アレクサンダーが1904年にロンドンに渡ってすぐに、彼のワークを認め支援してくれた人です。彼は喉の専門家で、アレクサンダーがその頃売りにしていた「呼吸」は彼の専門分野でしたし、その分野で有力者でした ス …

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