タスカーの講演「コネクティング・リンクス」を読むことで、今までとは少し異なったアレクサンダー・テクニークの理解を得ることができます。
A4の用紙で24ページほどもあるので、聴衆にとって長時間を聞くのはかなり辛かったのではないかと思うのですが、読む分には興味深い内容が詰まっています。
この「コネクティング・リンクス」から、1917年にタスカーがアレククサンダーの助手になったときのことを引用します。

学校の夏学期が終わったので、私は学校の仕事を辞めて、アメリカの何人かの子供たちに「アレクサンダーを教える」ことを始めました。
ミスター・アレクサンダーはイギリスに帰りましたが、当時女性は航海することを禁じられていたので(注:1917年は第一次世界大戦中です)、ミス・ウェッブと私は、夏の数ヶ月間、彼の仕事を残って引き受けることになりました。
このような状況から、私のアレクサンダー教師としての最初の仕事は、その大部分が「アプリケーション・ワーク」になりました。
その夏には、まだ訓練不足で私がテクニークのレッスンを教えることができないことは、明らかだったからです。できる限り生徒に、何をやるときにも「手段」を考えるために止まる、という意味の「インヒビション」を行ってもらいました――スポーツでも、乗馬でも、水泳でも、カヌーでも、演劇でも。
当時、誰もが楽しい時間を過ごしていたことが分る写真を、まだ持っています。

「コネクティング・リンクス」には、他にもこの意味でのインヒビションの記述が幾つかでてきます。
この、すぐに行動せずに「ミーンズ・ウェアバイ」(結果を得るための手段)を考えるというインヒビションは、「身体の協調状態を悪くする動き」に対するインヒビションとは異なります。
それは、アレクサンダーが主張し続けた「意識的なコントロール」になるでしょう。
自分の活動にどのように「意識的なコントロール」を使うか、を「リトル・スクール」の生徒たちが作文に書いたものが「アレクサンダー・タイムズ」(生徒の作品集です)に残っています。

私家版の「アイリーニ・タスカーとリトル・スクール」には、「コネクティング・リンクス」と「アレクサンダー・タイムズ」の生徒の作品を幾つか載せました。
希望される方は、info@yasuhiro-alex.jpまでメールして下さい。