授業のスタイルの14回目です
前の「(12)「教えるアート」—アートには先生自身が関係する」からの続きです。

■アートの無いスキル

授業のスタイルは、所詮方法でしかありません。

アレクサンダー・テクニークを作ったF.M.アレクサンダーは、教師養成コースを作って教え始めたのですが、
1年後には失望していました。
生徒たちが、ただ彼の動きの真似をするだけで、自分で考えようとしていないように、彼には見えたのです。
それでは、このテクニークを学ぶことはできないと考えていました。

先に紹介したパーマー・パーカーも、著書の中で
「技術は、真の治療家が来るまで人が使うもの」
という言葉を紹介し、
「良い技術は、その患者の病状に合う治療法を見つける助けにはなるが、本当の治療は、
現実と向きあう治療家が、患者の現状に向き合うときに起こる。」
と説明しています。

「アート」はこのように簡単にはすまない特性を持っています。

これを書いていて、生徒さんから「・・・・をすれば良いのですね。」という質問を受けたときに、
クラスで少し過剰反応している自分を思いだしました。
人は、自分なりの言葉で学んだことを、理解しようとします。
もちろん、それは悪くないのですが、ときどき単純化し過ぎた方法で何かを行います。
そして、起こっていることへの観察力がなくなり、アートの無いスキル(技術)を行うことになります。

そのときは、身体は一つの方向に向かうことに集中していて、自由を失った状態に見えます。

■アートは生命力――自分を知ること

「アート」の活動は、人にエネルギーをもたらします。

「教える」ことができることは、わたしにはとても大切です。
教員を辞めた今も、アレクサンダー・ワークを教えることで、エネルギーを得ていると感じます。
とても幸運です。

実は、わたしの20歳までの将来設計には、「先生」は全く含まれていませんでした。
会社に入って機械技術者になるものだと思っていたのです。
大学3年への編入試験に合格したことがきっかけでした。
秋に試験と合格発表があり、一浪していたので、入学するまで時間があったのです。

土曜の夕方にスポーツ少年団の指導をするようにと、声をかけてもらいました。
それを大学院が終わる4年半続けることになりました。

この「教える経験」は、それをするときに、自分の中から良いものが出てくることに気づかせてくれました。

卒業後は、とりあえず機械技術者を体験してみようと思い会社に就職しました。
そして、最初の3年間で、会社の仕事からは自分に生命力が生まれてこないことを実感したのです。
高専のときの恩師と、大学時代の恩師に相談し、既に工業高校の教員になっていた後輩に会い、
教員採用試験を受けることを決めました。

人前で話すことについて理解していなかったので、初めの頃は授業を行うこと自体は苦痛なことが多かったです。
でも、教えることについて考えることは、確実にわたしにエネルギーを与えてくれました。

これはわたしにとっては、とても大事なことでした。
27年間の教員生活で、知らなかったコンピュータ技術の多くを学び、教科書を書き、3年間海外で仕事するなど、
多くの体験もできましたが、それはこのアートが魅力的だったからだと思います。

その点で、30歳での教員への転職は、期待していた以上のものを与えてくれました。

先生になった人たちは誰も、自分を活き活きとさせるものを、その中に感じているのだと思います。
先生という仕事は、自分を成長させてくれる多くはない道の一つだ、ということは確かです。

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