授業のスタイルの13回目です
(12)「教えるアート」—アートには先生自身が関係する
■教えることはアート
2つのクラスで同じ内容を同じようにやっているのに、片方のクラスではとてもうまくできて、
もう片方は何か足りない、ことを多くの先生が体験していることでしょう。
準備不足の授業がうまくいったり、入念に準備したのにうまくいかなかったり、授業は生き物です。
いろいろな要因が複雑に関係して予測不可能なので、「教えること」は、単なる「技術」でなく「アート」といえると思います。
若手の歌手が、若さの持つ特別なアピールと個性で輝くことがあり、下積みを重ねた歌手が、
長い鍛錬の後に自分なりの味を持ち、人の感性の琴線に訴えかける力を持つことがあります。
先生という仕事も、もそのような「アート(芸術性)」を持つと思います。
息子は公立高校の理数科にいたのですが、ある数学の先生をとても尊敬していました。
その先生は、内容の濃い、鋭さと厳しさを持つ授業を行っていて、クラスの多くが尊敬していたようです。
でも、淫行条例に関わる行動が発覚し、退職を余儀なくされました。
奥さんがいて、子供もいた人でした。
生きることも「アート」です。
「生きるアート」では、ときどき狂気もでてきます。
自分がどこに向かっているか、分からなくなることもあります。
それらに向き合い、折り合いをつけ、今できることを選んでいくことは簡単ではありません。
その危機が少ない人もいますが、それはアートとして深みの無いものかもしれません。
「アート」は多様なので、静かで、他人からは観察できない深い所のものもあり、
個人個人が違っていると言う意味で個性的です。
その「生きるアート」のバックグラウンドの上に、「教えるアート」がでてきます。
パーマー・パーカーは、著書「The COURAGE to TEACHE(教える勇気)」の中で、
「この本は、先生として良いときも、悪いときも体験し、その悪い日には、
自分が愛するものからの大きな苦しみを味わっている人のものです。」
と書いています。
多くの先生が、そのような浮き沈みの体験をしていることでしょう。
残念ながら、どの先生にも、ときどきある天国のような良い時間は長く続きません。
それはとても残念ですが、長年教えていると、地獄のときにも、何か良いものがあることも理解してきます。
■自分が関わる
教える経験を積んで慣れた授業だと、つい「こなしている」という感覚になってしまうことがあります。
そのときは、教えている自分がつまらなく感じます。
「熱」が必要です。
国語教育で有名な大村はまさんの講演に行ったときに、彼女は「湯気の立っている内容」を
教えるようにと言っていました。
以前に準備した内容でも、冷たいまま提示するのではなく、それについて自分を温め直す必要があることは、
良く理解できます。
外からどのように見えるかは、歌手を見ればわかるからです。
何百回、何千回と歌ってもあせない輝きを感じさえる歌手は、「こなす」という意識にならないように、
注意をしていることでしょう。
ときには、熱唱しているような素振りをしながら、心が入っていないために、つまらなく感じる歌もあるものです。
それが持てなくなるときもあります。
BodyChanceを作ったジェレミー・チャンスは、伝統的なアレクサンダー・テクニークを学び、
その後の7年間を、チェアワークと、テーブルワークを教える先生として教えました。
そのときに、仲間の先生たちと、来る生徒を人として数えずに「body(体)」と数えていて、
「今日は、6つのbodyに教えた。」というような会話をしていたそうです。
ジェレミーが、それに飽き飽きしていたときに、マージョリー・バーストーの教え方に出会い、天啓と感じました。
先生も成長するので、教えているときに熱を持てなくなることもあることでしょう。
それは大事な瞬間だと思います。
そう感じることで、自分が何を求めているかを探そうとして、教えている内容を
それとの関連の上で考え始めるからです。
ジェレミーのように、きっぱり止めてしまう、という決断も起こるかもしれません。
わたしも、「情報」と「情報教育」に熱意がなくなってきました。